
「AIはクリエイターの仕事を奪うのか?」という問いが各所で議論されるなか、『永遠についての証明』『最後の鑑定人』などの著書がある小説家の岩井圭也さんは「作り手がいかに人間に近いものを作れるか、という論点だけでは不十分」だと指摘します。そこにあったのは、「AIが生成したもの」に抱く「がっかり感」。小説家の視点から、AIには書けない「文章」とは何か、そしてAI時代の創作に求められる人間の価値とは何か、岩井さんの思索を聞きました。
東京ビジネスハブ
TBSラジオが制作する経済情報Podcast。注目すべきビジネストピックをナビゲーターの野村高文と、週替わりのプレゼンターが語り合います。今回は2025年11月2日の配信「AIの進歩は、小説家から仕事を奪うのか?!(岩井圭也)」を抜粋してお届けします。
AIアナウンサーへの「寂しい」という反応
野村:小説家という仕事にAIがどれくらい影響を与えているのか、あるいは与えていないのか、ぜひお伺いしたいと思います。
岩井:この質問は、出版業界の外の方と会うと必ずと言っていいほどされますね。その前にお聞きしたいのですが、野村さんもご自身のポッドキャスト番組「News Connect」で、ご自身の声を元にした「AI野村」でニュースを解説する試みをされていましたよね。
野村:そうですね、10月に私の声を元にした「クローン音声」を使って国際ニュースを解説する回を作ったのですが、Xでは賛否両論というか「否」が少し多めの反応でした。
岩井:私も聞かせてもらいましたが、すごく滑らかでした。ただ、否定的な意見もよく分かりました。「なんか違うぞ」と。
野村:普段、生身の私の声を聞いている方々からすると、強烈な違和感を覚えるようで、「もう聞けない」という声もあったんですよね。
岩井:特に印象的だったのが、非常にエモーショナルな意見ですが、「少し寂しい」というものがありましたよね。私も「AI野村」を聴いて、いちリスナーとして、向こう側に人の気配を感じて楽しんでいたんだなと改めて感じました。AIだと、まるでロボットに相手をされているかのような、感情的な寂しさがありました。
野村:これに関しては私の不明を恥じるばかりです。国際ニュースを分かりやすく解説することが番組の価値の中心だと思っていましたが、私が思っている以上に、リスナーの皆さんは「人間」の部分を受け取ってくださっていたのだと気づかされました。
将棋AI同士の対局を誰も見ない理由
岩井:私は、その気づきが非常に大事なことだと思うんです。AIがものづくりをすることにおいて、いつも論点になるのは「AIがどれぐらい人間に近いものを作れるか」ということばかりな気がしているんですよ。
それももちろん大事なんですが、私はいつも論点が一つ欠けていると感じています。それは「受け手がどう思うか」ということです。受け手は、人間に近ければそれで良いのか、好きになれるのか。その観点があまり議論されていない気がします。
例えば、将棋のAIは非常に強いですが、将棋AI対将棋AIの対局を誰も見ようとはしないですよね。人々は強い将棋を見たいのではなく、苦しみながら人と人が戦っているところを見たいんです。小説も同じで、綺麗な、うまい小説ではなく、その書き手の人間性や偏りのようなものを皆が楽しんで読んでいる。だからこそ人間が書くということがすごく大事なのだと思っています。
野村:なるほど。
岩井:「AI野村」の話も、受け手がそれを聞いてどう思うだろうか、という視点がもしかしたら少し欠けていたのかもしれません。皆、そもそも「AIがやっています」という付箋が1つ付いただけで、見方がだいぶ違ってしまうのではないでしょうか。
AIだと知ったときの「がっかり感」
岩井:それでいうと、すごく綺麗なイラストがタイムラインに流れてきて「いいな」と思っても、「AIで描いています」と書いてあると、「なんだ」と言って流してしまう。この感情について、あまり議論されていないと思うんです。
野村:AIだと知った時の「がっかり感」というのは、テクノロジーの発達という問題ではないのだろうなと思いますね。
岩井:先日読んだ前田安正さんの本に、すごく面白い話がありました。「文章(ぶんしょう)」と「文書(ぶんしょ)」は違うという話です。
「文章」とは書き手の思いや考え、感情が現れたものであり、「文書」とは単なる文字の連なりです。AIはおそらく「文書」を書くことに関しては非常に長けていますが、「文章」は書けない。なぜなら、AIには思考から生まれる思いや考え、感情がないからです。
野村:確かにそうですね。
岩井:例えば、お役所に提出する書類やビジネスの企画書のような「文書」であれば、AIが書くことで効率化されて良いのかもしれません。しかし、小説や詩、俳句といった世界で求められているのは、書き手の内面が反映された「文章」なのだろうと思っています。
創作物における棲み分けと、人間らしい「偏り」の価値
野村:今回、AIポッドキャストを試してみて、人間らしい「偏り」がまず大前提として必要だと感じました。その偏りをAIがそれっぽく再現し始めた時に皆がどう思うのか、と考えたこともありますが、もしかしたらどこまで行っても、AIが作り出した偏りに人間はあまり心を動かされないのかもしれません。
岩井:裏側に人間が作っているという事実があって、それで初めて我々は興味を持つのかもしれない。創作物の中でも、もしかしたら今後、位置付けが分かれていってしまうのかもしれません。例えば、隙間時間に少し楽しむだけのものだったらAIでもいいけれど、休日にしっかり腰を据えて読むような大長編は、やはり人が書いたものでないといけないよね、というように。
野村:可能性はありますね、確かに。
岩井:今のAIは、何か「お手本」があってそこから学習する機械学習のシステムですよね。このシステムが続く限りは、人間が作るものの価値を超えていくのはなかなか難しそうです。全く違うアルゴリズムで再現できたら、可能性はあるのかもしれませんが。
まだAIはクリエイターの「想像を超えてこない」
野村:人間が書くのが主だとしても、その制作プロセスにAIをサポートとして導入することはあるのでしょうか?
岩井:それはあり得ると思っていて、私はAIが「ワープロ」のようになっていくと考えています。
90年代にワープロが普及した時、多くの先輩作家から「手で書いていない小説は良くない」という意見が出たそうです。ペンで一字一字書くからこそ何かが備わる、と。でも今や、ほとんどの作家がパソコンで書いていますよね。おそらくAIもこうなる気がしています。
AIに本文を書いてもらうことは難しいかもしれませんが、私たちの執筆を強力にサポートしてもらうことはできるでしょう。例えば、誤字脱字の発見能力は、もう人手でやるのが馬鹿らしくなるくらい高いです。他にも、プロットの穴を探してもらったり、物理トリックの矛盾をチェックしてもらったり、そういう壁打ち相手としての役割は十分にあると思います。
野村:私も番組企画の案出しで壁打ち相手として使うことがありますが、まだ自分の期待を超えてこないな、と感じることが多いです。
岩井: そうなんですよ。今のAIは、過去のものを学習して「それっぽいもの」を出すのは得意ですが、発想を飛ばすことはまだ難しい。全く違う分野のものを無理やりくっつけた時に起きる奇跡のようなものは、まだ生み出せない印象です。
野村:この話はまだ答えが出ていませんが、今がまさに分岐点なのでしょうね。今後は、人間がやる意味があるコンテンツと、そうでもないコンテンツに分かれていくのだろうなと強く感じます。
岩井: 「コンテンツ」という言葉が少し大雑把すぎるのかもしれません。「文字で書かれたもの」と一括りにせず、「文章」と「文書」のように細かく分けていくと、すごく見通しが良くなると思います。
野村:たとえば本の装丁などは、最後まで人間がやる方になりそうな気がします。
岩井: 装丁は人間だと思います。装丁家の方が私の作品を読んで、内面で消化して出てきたものを、対話しながら選んでいく。このプロセスに価値があるんです。
一人の人間の考えだけで決まっていくのが良くないからこそ、編集者や装丁家という仕事がある。そう考えると、AIはどこまでいっても今の段階では「道具」に過ぎないのかなと思います。
これがまた、「AIだよ」と明かされても誰もがっかりしないような世の中になってきたら、その時は私も、また会社勤めを始めるかもしれませんね。
<聞き手・野村高文>
Podcastプロデューサー・編集者。PHP研究所、ボストン・コンサルティング・グループ、NewsPicksを経て独立し、現在はPodcast Studio Chronicle代表。毎週月曜日の朝6時に配信しているTBS Podcast「東京ビジネスハブ」のパーソナリティを務める。
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