国内
2025-12-19 18:10
父親のDVや兄の自死など複雑な家庭環境で育ち、家族とも絶縁。妊娠6ヵ月でパートナーも突然の失踪。未婚で子どもを産み、一人で育てていく決心をしたORIEさん(@orie.shinmama)は「あの時があったから今の私がいて、この子と出会えたのだとしたら、何度でも同じ道を歩く」と語る。何故彼女はここまで強くなれたのか。自身が子どもの頃に欲しかった愛情を思い出しながら、我が子と向き合い、丁寧に育てていく彼女の決意を聞いた。
【別カット】寝れない日々が続くも、”母”として全力を尽くしているORIEさんのリアルな日常
■パートナー失踪・救急搬送も…芽生えたのは「何があっても私が守る」という覚悟
――妊娠6ヵ月でパートナーが失踪したと掲載されていますが、当時のご心境を教えて下さい。
【ORIE】一番大きかった感情は圧倒的な絶望でした。親も兄弟も祖父母も親戚もおらず、親族の居ない頼れる存在が誰ひとりいない自分に、一体どうやってこの子を育てていけばいいのか全く想像できませんでした。正直、一瞬だけ「施設の方がこの子は幸せなのでは」と考える程に追い詰められ、何をどうすればいいのか分からず、こんな人生もう終わらせたいとも思ってしまいました。考えるべきことが多すぎて、不安で、怖くて、毎日泣いて過ごしていました。それほどまでに心が追いつかず、目の前が真っ暗になる出来事で、その当時は思い描いていた幸せな未来全てを失ったと思いました。
――そこから1人で産み育てると決め、すぐに行動をされていますが、気持ちを切り替えるまでの流れはどのようなものでしたか?
【ORIE】パートナーが失踪して1週間後、どうすればいいか分からず行政に電話し、そのまま役所へ向かいました。眠れず食べられず、役所で目の前が真っ暗になり倒れ、救急車で病院へ運ばれたこともありました。診察台に運ばれた瞬間、最初に出た言葉は「赤ちゃんは無事ですか?」でした。無事だと告げられた時、心から安堵し、エコーを見て涙が止まりませんでした。
同時に先生から「お腹の中にいる間は、お母さんしか赤ちゃんを守れないんだよ」と強く叱られ、その言葉が胸に刺さりました。真っ先に赤ちゃんを心配した自分に、この子を失うことが何より怖いと気付きました。その瞬間、何があっても私が守ると覚悟が芽生え、泣いている場合ではない、私が動いて育てるんだと気持ちを切り替える大きなきっかけになりました。
――出産までの期間をおひとりで過ごされた中で、特に大変だったことや、逆に支えになった言葉や存在などがあれば教えて下さい。
【ORIE】妊娠中は大きくなるお腹での引っ越しや行政手続き、保健師さんとのやり取りなど毎日がバタバタで、体調も安定せずつらい日々でした。特に深夜は不安が強く、泣きながら過ごすことも何度もありました。少しでも不安を減らすため、分からないことは毎日ノートにまとめて必死に調べ続けました。この頃にSNSで発信を始め、フォロワーさんの応援やアドバイスが大きな励みとなり、前向きな気持ちを取り戻せるようになりました。
そして何より支えになったのは友人たちの存在です。「あんたは幸せ者だよ!」という言葉は、未婚の母として抱えていた後ろめたさや恐怖の中で、赤ちゃんを迎える喜びを思い出させてくれる大切な一言でした。ひとりでは絶対に乗り越えられなかったので、多くの人に支えられながら今子育てできていることに心から感謝しています。
■無条件の愛が極端に欠如していても「“絶対的な安心”を与えられる親でありたい」
――15歳で地元を出てから10年以上、旅や島で暮らしてきたそうですが、その間どんな日々を過ごし、どんな価値観を育みましたか?
【ORIE】沖縄の離島、宮古島を一番長く拠点にして暮らしていました。他にも沖縄本島や石垣島、鹿児島の奄美大島などに住んでいた時期もあります。どこかに拠点を決めても数ヵ月ほどで、また別の島へ移動したり、冬は雪山でスノーボードのリゾートバイトをしたりと、さまざまな土地を転々としながら生活していました。ある程度お金が貯まると、東南アジアにバックパッカーとして旅にも出ていました。海や山、川、星、動物たち。不便な生活の中にこそ宝があり、自然が「何もないことの豊かさ」を教えてくれました。
旅の中ではたくさんの人と出会い、それぞれの価値観や人生、物語に触れました。そして、「人生とは人と出会いながら生きていくものなんだ」と気づきました。自分の心で見て、感じて、動く。全力で楽しいを追いかけて生きる喜びを、あの頃の旅と出会いが教えてくれました。
――15歳で地元を出るという大きな選択ができた理由や背景、きっかけがあれば教えてください。
【ORIE】当時の私は、複雑な家庭環境の中で父親の支配下にあり、自由のない生活を送っていました。意思のない生活を強いられ、少し先の未来すら想像できない状態でした。中学を卒業して働き始めると、自分の意思で自由に生きる大人たちと出会い、自分がどれほど異常な環境にいて、恐怖に縛られていたかに気づき、「自分の人生を生きたい」という思いが芽生えました。現状を変えたい気持ちは恐怖よりも強く、知らない世界へ飛び出す勇気につながりました。
挑戦自体は怖くなく、むしろ何も変えられず辛い場所に留まる方が何倍も怖いと感じました。この経験が、私にとって「自分で人生を選ぶ」という生き方の原点になりました。
――虐待やご兄弟の自死など、育った家庭環境は決して楽なものではなかったと発信されていますが、その経験は“親としてどうありたいか”という現在の価値観にどんな影響を与えていると感じますか?
【ORIE】こんな親なら最初からいない方がいいと思うほどの環境で育ち、その経験が今の価値観に大きく影響しています。失踪するようなパートナーなら、子どもにとっていない方がいいと早く切り替えられたのも、頼れる人がいない環境で自分で何とかする力が身についていたからだと思います。
しかし、人に甘えること、弱音を見せること、頼ることなど、無条件の愛への安心感は極端に欠けていました。迷惑をかけたら嫌われるのではないかという不安が常にあり、その結果、兄は助けを求めることすらできず自死を選んでしまいました。
だからこそ私は、子どもには遠慮せず甘えられ、わがままも受け止めてもらえる「絶対的な安心」を与えられる親でありたいと強く思っています。
■我が子への育児を通じて、“愛を知る” 新しい人生のはじまり
――ご自身も健全に子どもを育ててあげられるのだろうか?といった不安はありましたか?もしあれば、その不安とどのように付き合ってこられたのか教えてください。
【ORIE】もちろん不安はありましたし、正直今でもあります。ひとりで初めての育児、私が親として冷静でいられるか、気付かぬうちに自分が受けてきたような恐怖で縛る育て方をしてしまわないか、何度も考えました。親と同じには絶対になりたくない、愛を知らない私がこの子を大切に育てられるのか、そんな不安でいっぱいでした。
それでも私は、その不安から目をそらさず向き合うことを選びました。私の環境で育ったからこそ得た知識や経験を活かし、我が子と向き合う時間の中で、子どもの頃の私がしてほしかったことを思い出しながら過ごすことで、自分の傷も少しずつ癒えていくと感じています。不安はまだありますが、その分だけ丁寧に子どもと向き合おうと決めています。これからも過去の自分ごと抱えて前に進んでいきます。
――noteなどでも家庭環境について公表されていますが、“血より自分を選べた私”という経験は、ORIEさんにとって人生の転機だったように感じます。子育ては連鎖するといった“一般的”な声もある中で、今大切にしている信念や、「ここだけは絶対守る」と決めていることは何ですか?
【ORIE】「負の連鎖は私で断ち切る」と強く決めています。自分が受けてきた辛さを、我が子には絶対に受け継がせません。未婚の母で頼る先もなく、私に何かあったらこの子はどうなるのだろうと怖くなる日もあります。
でも、「こんなママでごめんね」と落ち込む時間があるなら、少しでも自信を持てる母親になるためにできることを全力でやろうと決めています。変えられない過去を嘆くのではなく、その過去を力に変えて生きていく。血より自分を選べたその選択に胸を張り、自分を信じて進んでいきます。
――お子さんにはどのように育ってほしいですか?そして、これまでの人生を生き抜いてきた“過去の自分”に言葉をかけられるとしたら、どんなメッセージを贈りたいですか?
【ORIE】自由を愛し、自由を守れる人に育ってほしいです。どんな生き方や価値観も尊重しながら、自分の周りに優しくいられる人になってほしいと思います。笑顔と愛で溢れる未来でありますようにと、心から願っています。
そして、過去の自分へ。
この子に出会えるのなら、私は何度でも自分の人生を選び、何度でも乗り越える。すべての出来事が必要だったとは今でも思えないけれど、あの時があったから今の私がいて、この子と出会えたのだとしたら、何度でも同じ道を歩く。それほど強く大きな愛を、私は我が子からもらっています。安心して、今を頑張れ。
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――妊娠6ヵ月でパートナーが失踪したと掲載されていますが、当時のご心境を教えて下さい。
【ORIE】一番大きかった感情は圧倒的な絶望でした。親も兄弟も祖父母も親戚もおらず、親族の居ない頼れる存在が誰ひとりいない自分に、一体どうやってこの子を育てていけばいいのか全く想像できませんでした。正直、一瞬だけ「施設の方がこの子は幸せなのでは」と考える程に追い詰められ、何をどうすればいいのか分からず、こんな人生もう終わらせたいとも思ってしまいました。考えるべきことが多すぎて、不安で、怖くて、毎日泣いて過ごしていました。それほどまでに心が追いつかず、目の前が真っ暗になる出来事で、その当時は思い描いていた幸せな未来全てを失ったと思いました。
――そこから1人で産み育てると決め、すぐに行動をされていますが、気持ちを切り替えるまでの流れはどのようなものでしたか?
【ORIE】パートナーが失踪して1週間後、どうすればいいか分からず行政に電話し、そのまま役所へ向かいました。眠れず食べられず、役所で目の前が真っ暗になり倒れ、救急車で病院へ運ばれたこともありました。診察台に運ばれた瞬間、最初に出た言葉は「赤ちゃんは無事ですか?」でした。無事だと告げられた時、心から安堵し、エコーを見て涙が止まりませんでした。
同時に先生から「お腹の中にいる間は、お母さんしか赤ちゃんを守れないんだよ」と強く叱られ、その言葉が胸に刺さりました。真っ先に赤ちゃんを心配した自分に、この子を失うことが何より怖いと気付きました。その瞬間、何があっても私が守ると覚悟が芽生え、泣いている場合ではない、私が動いて育てるんだと気持ちを切り替える大きなきっかけになりました。
――出産までの期間をおひとりで過ごされた中で、特に大変だったことや、逆に支えになった言葉や存在などがあれば教えて下さい。
【ORIE】妊娠中は大きくなるお腹での引っ越しや行政手続き、保健師さんとのやり取りなど毎日がバタバタで、体調も安定せずつらい日々でした。特に深夜は不安が強く、泣きながら過ごすことも何度もありました。少しでも不安を減らすため、分からないことは毎日ノートにまとめて必死に調べ続けました。この頃にSNSで発信を始め、フォロワーさんの応援やアドバイスが大きな励みとなり、前向きな気持ちを取り戻せるようになりました。
そして何より支えになったのは友人たちの存在です。「あんたは幸せ者だよ!」という言葉は、未婚の母として抱えていた後ろめたさや恐怖の中で、赤ちゃんを迎える喜びを思い出させてくれる大切な一言でした。ひとりでは絶対に乗り越えられなかったので、多くの人に支えられながら今子育てできていることに心から感謝しています。
■無条件の愛が極端に欠如していても「“絶対的な安心”を与えられる親でありたい」
――15歳で地元を出てから10年以上、旅や島で暮らしてきたそうですが、その間どんな日々を過ごし、どんな価値観を育みましたか?
【ORIE】沖縄の離島、宮古島を一番長く拠点にして暮らしていました。他にも沖縄本島や石垣島、鹿児島の奄美大島などに住んでいた時期もあります。どこかに拠点を決めても数ヵ月ほどで、また別の島へ移動したり、冬は雪山でスノーボードのリゾートバイトをしたりと、さまざまな土地を転々としながら生活していました。ある程度お金が貯まると、東南アジアにバックパッカーとして旅にも出ていました。海や山、川、星、動物たち。不便な生活の中にこそ宝があり、自然が「何もないことの豊かさ」を教えてくれました。
旅の中ではたくさんの人と出会い、それぞれの価値観や人生、物語に触れました。そして、「人生とは人と出会いながら生きていくものなんだ」と気づきました。自分の心で見て、感じて、動く。全力で楽しいを追いかけて生きる喜びを、あの頃の旅と出会いが教えてくれました。
――15歳で地元を出るという大きな選択ができた理由や背景、きっかけがあれば教えてください。
【ORIE】当時の私は、複雑な家庭環境の中で父親の支配下にあり、自由のない生活を送っていました。意思のない生活を強いられ、少し先の未来すら想像できない状態でした。中学を卒業して働き始めると、自分の意思で自由に生きる大人たちと出会い、自分がどれほど異常な環境にいて、恐怖に縛られていたかに気づき、「自分の人生を生きたい」という思いが芽生えました。現状を変えたい気持ちは恐怖よりも強く、知らない世界へ飛び出す勇気につながりました。
挑戦自体は怖くなく、むしろ何も変えられず辛い場所に留まる方が何倍も怖いと感じました。この経験が、私にとって「自分で人生を選ぶ」という生き方の原点になりました。
――虐待やご兄弟の自死など、育った家庭環境は決して楽なものではなかったと発信されていますが、その経験は“親としてどうありたいか”という現在の価値観にどんな影響を与えていると感じますか?
【ORIE】こんな親なら最初からいない方がいいと思うほどの環境で育ち、その経験が今の価値観に大きく影響しています。失踪するようなパートナーなら、子どもにとっていない方がいいと早く切り替えられたのも、頼れる人がいない環境で自分で何とかする力が身についていたからだと思います。
しかし、人に甘えること、弱音を見せること、頼ることなど、無条件の愛への安心感は極端に欠けていました。迷惑をかけたら嫌われるのではないかという不安が常にあり、その結果、兄は助けを求めることすらできず自死を選んでしまいました。
だからこそ私は、子どもには遠慮せず甘えられ、わがままも受け止めてもらえる「絶対的な安心」を与えられる親でありたいと強く思っています。
■我が子への育児を通じて、“愛を知る” 新しい人生のはじまり
――ご自身も健全に子どもを育ててあげられるのだろうか?といった不安はありましたか?もしあれば、その不安とどのように付き合ってこられたのか教えてください。
【ORIE】もちろん不安はありましたし、正直今でもあります。ひとりで初めての育児、私が親として冷静でいられるか、気付かぬうちに自分が受けてきたような恐怖で縛る育て方をしてしまわないか、何度も考えました。親と同じには絶対になりたくない、愛を知らない私がこの子を大切に育てられるのか、そんな不安でいっぱいでした。
それでも私は、その不安から目をそらさず向き合うことを選びました。私の環境で育ったからこそ得た知識や経験を活かし、我が子と向き合う時間の中で、子どもの頃の私がしてほしかったことを思い出しながら過ごすことで、自分の傷も少しずつ癒えていくと感じています。不安はまだありますが、その分だけ丁寧に子どもと向き合おうと決めています。これからも過去の自分ごと抱えて前に進んでいきます。
――noteなどでも家庭環境について公表されていますが、“血より自分を選べた私”という経験は、ORIEさんにとって人生の転機だったように感じます。子育ては連鎖するといった“一般的”な声もある中で、今大切にしている信念や、「ここだけは絶対守る」と決めていることは何ですか?
【ORIE】「負の連鎖は私で断ち切る」と強く決めています。自分が受けてきた辛さを、我が子には絶対に受け継がせません。未婚の母で頼る先もなく、私に何かあったらこの子はどうなるのだろうと怖くなる日もあります。
でも、「こんなママでごめんね」と落ち込む時間があるなら、少しでも自信を持てる母親になるためにできることを全力でやろうと決めています。変えられない過去を嘆くのではなく、その過去を力に変えて生きていく。血より自分を選べたその選択に胸を張り、自分を信じて進んでいきます。
――お子さんにはどのように育ってほしいですか?そして、これまでの人生を生き抜いてきた“過去の自分”に言葉をかけられるとしたら、どんなメッセージを贈りたいですか?
【ORIE】自由を愛し、自由を守れる人に育ってほしいです。どんな生き方や価値観も尊重しながら、自分の周りに優しくいられる人になってほしいと思います。笑顔と愛で溢れる未来でありますようにと、心から願っています。
そして、過去の自分へ。
この子に出会えるのなら、私は何度でも自分の人生を選び、何度でも乗り越える。すべての出来事が必要だったとは今でも思えないけれど、あの時があったから今の私がいて、この子と出会えたのだとしたら、何度でも同じ道を歩く。それほど強く大きな愛を、私は我が子からもらっています。安心して、今を頑張れ。
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