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村山富市元総理が101歳で死去 「立派な眉毛」がトレードマーク 戦後50年「村山談話」では“日本の植民地支配と侵略に反省とお詫びの気持ち表明”

国内
2025-10-19 22:16

村山富市元総理がきょう午前、亡くなりました。101歳でした。


立派な眉毛がトレードマーク。


「村山富市さんを内閣総理大臣に指名することに決まりました」


1994年、自民・社会・新党さきがけの連立政権で第81代内閣総理大臣に就任した、村山富市元総理。


きょう午前、大分市内の病院で老衰のため亡くなりました。101歳でした。


1924年、大分市に生まれた村山氏。明治大学を卒業後、県議などを経て、1972年に衆院選に出馬し、初当選しました。


「社会党再生のために全党員、団結をして、ガンバロー、ガンバロー」


旧社会党では、国会対策委員長などを歴任し、1993年には非自民政権である細川護煕内閣を党幹部として支え、翌年、社会党としては2人目の総理に就任しました。


「私たちは過去の過ちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません」


戦後50年を迎えた1995年には、日本の過去の植民地支配と先の大戦での侵略で多くの国、とりわけアジア諸国の人々に「多大な損害と苦痛を与えた」として、反省とお詫びの気持ちを表明した「村山談話」を発表しました。


石破総理
「大変に実直かつ誠実な方であったというのが私の印象であり、御霊の安らかならんことを心よりお祈りをする次第であります」


自民党 高市早苗 総裁
「本当にお優しい方で、私のような(当時)新人議員にも声をかけてくださった」


2000年に政界を引退しましたが、その後も憲法改正反対などを訴え、政治活動を続けました。


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