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戦後最大の「集団毒殺事件」いや「冤罪事件」…?(帝銀事件1948年)【TBSアーカイブ秘録】

国内
2025-08-21 21:00

豊島区椎名町(現長崎1丁目)その一角は現在では普通の駅近住宅地です。かつてここで凄惨な集団毒殺事件がありました。
それは戦後最大の冤罪事件かもしれません。元死刑囚が死去した後も、今なお謎のままなのです。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)*文中一部敬称略


【写真で見る】後々大きな「手がかり」となる「毒殺魔人相書」


舞台は「帝国銀行・椎名町支店」

1948年1月26日午後、東京・豊島区の帝国銀行椎名町支店で、12人が命を落とす前代未聞の毒殺事件が発生しました。
白衣を着た男が支店を訪れ「厚生省からの指示で赤痢の予防措置を行っている」と騙り、職員とその家族16人に紙コップで液体を飲ませたのです。


男は医療関係者を思わせる言動で全員を信用させましたが、配られた液体は猛毒の青酸化合物でした。


謎の人物は何も残さずに逃走した

薬を飲んだ直後、次々と倒れる行員たち。男は混乱の中で金庫の鍵を奪い、現金と預金通帳を持って逃走しました。犯行時間はわずか20分。男は誰にも気づかれることなく、現場から姿を消しました。


警視庁はこの事件を「帝銀事件」と名付け、捜査本部を設置。現場の目撃証言や似顔絵をもとに捜査を進めました。なお、帝国銀行は現在の三井住友銀行およびみずほ銀行の前身にあたります。


半年後に「容疑者」逮捕

事件発生後、約半年が過ぎた8月、当時53歳の画家・平沢貞通容疑者(当時)が逮捕されました。
平沢は実力派テンペラ画家として有名な人物でしたが、以前よりコルサコフ症候群(狂犬病予防接種の副作用)にかかっていて、言動が不安定だったといいます。


平沢は当初容疑を否認していましたが、やがて自白に転じました。しかし、供述内容には一貫性がなく、後に「自白は強要されたものだった」と撤回しています。現場からは決定的な証拠が見つからず、有罪の根拠となったのは状況証拠や曖昧な自白が中心でした。


死刑囚のまま45年

1950年、東京地裁は平沢に死刑判決を言い渡しました。以後の控訴、上告もすべて退けられ、55年に死刑が確定します。しかし、その後の歴代法務大臣はいずれも執行命令を出さず、平沢は死刑囚のまま獄中で39年を過ごし、1987年に95歳で病没しました。


「冤罪」の可能性

この事件には当初から「冤罪ではないか」との疑念がつきまとってきました。犯人とされる男の「人相書」と平沢の顔や背格好がまるで似ていないこと、犯行に使われた青酸カリの入手経路が不明であること、そして犯行の手口があまりに専門的であることなど、数々の疑問点が指摘されてきたのです。


また、戦後間もない時代という特殊な背景の中で、GHQ(連合国軍総司令部)や旧日本軍の特殊部隊との関係をうかがわせる情報もありました。一部には「真犯人は軍やGHQ関係者で、平沢はスケープゴートにされたのではないか」などといった説すら唱えられています。


すべては謎のまま

平沢の支援者らは、合計19回にも渡って再審を請求しましたが、すべて棄却されました(現在20次再審請求中)。
平沢が死去した今となっては、真相はすべて闇の中です。


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