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連続企業爆破事件に関わり、約半世紀にわたって逃亡を続けた桐島聡容疑者。死亡から1年。関係者への独自インタビューを加えて、容疑者が暮らした部屋の内部を取材しました。逃亡生活の実態とは。
逃亡生活の“日常”と“葛藤”
ワイングラスを片手に、ほほ笑む男。1970年代に連続企業爆破事件を起こした、桐島聡容疑者だ。
2024年1月、半世紀にわたる逃亡生活の末、入院先で自らの本名を告白し、その後死亡した。
番組が独自に入手した写真は、指名手配から30年後に撮影されたものだ。
友人と戯れる姿は、逮捕を恐れる指名手配犯には見えない。
神奈川・藤沢市に桐島容疑者が死の直前まで暮らしていた建物がある。特別に許可を得て、番組は内部を撮影することができた。
そこには偽名として名乗っていた「内田洋」としての生活と、逃亡者としての内なる葛藤が遺されたままだった。
趣味のギターや自筆の歌詞カード。漫画、映画のDVDなどが積み重なっていた。
「内田」の名前で処方された薬やがんに関する書籍からも、晩年の様子がうかがえた。
警視庁の家宅捜索では、思想につながる資料は見つからなかったという。
爆破事件が発生した1974年を振り返る雑誌。「無欲」「勇気」「しぶとさ」「弱さ」…殴り書きされた言葉の数々。
「桐島聡」と「内田洋」。2つの人生と、交錯した人々の証言から、その実像に迫る。
「東アジア反日武装戦線」とは
1974年、東京・丸の内のオフィス街で時限爆弾が炸裂した。8人が死亡、380人が重軽傷を負った戦後日本最悪の爆弾テロ「三菱重工爆破事件」だ。
過激派「東アジア反日武装戦線」・「狼」は、「侵略企業・植民者に対する攻撃」だと犯行声明を出した。一般人を無差別に巻き込んだテロ事件に、社会は震撼した。
事件後、「東アジア反日武装戦線」には「大地の牙」と「さそり」という2つのグループが加わった。単独で、あるいは3グループ共同で、合わせて12件の爆破事件を起こした。
「大地の牙」元メンバーの女性は懲役20年の実刑判決を受け、2007年に刑務所を出所した。
女性のグループは、けが人を出さないよう爆破計画を立てたという。
「大地の牙」元メンバーの女性(70代)
「三菱の失敗を克服するんだから、絶対けが人を出しちゃいけない」
自らが実行した爆破事件で、16人に重軽傷を負わせたことを悔やんでいるという。
「大地の牙」元メンバーの女性
「武器とか、そういうものを使って何か目的を達成するとか、それ自体が間違いだった」
桐島容疑者が所属した「さそり」も被害者を出さない方針だったが、1975年、桐島容疑者が設置した爆弾で男性が重傷を負った。
事件後、“桐島容疑者は激しく動揺していた”と語るのは、「さそり」の元メンバー・宇賀神寿一氏だ。
宇賀神寿一氏(72)
「(桐島は)『なんてことをしてしまったんだ』っていう思いが表情に出ていましたね。『取り返しのつかないことをしてしまった』と」
元メンバーが語る逃走経路
1975年5月、状況が一変する。テレビのニュースで3グループ8人の一斉逮捕を知った。宇賀神氏は、すぐに桐島容疑者のもとへ向かったという。
宇賀神氏
「桐島のアパートに行って、ここも危ないということで(アパートを)出て」
2人は捜査の手が及ぶことを恐れ、互いのアパートを見張り合った。
宇賀神氏
「桐島のアパートには(捜査員が)誰もいなかった。私のアパートに桐島が行ったときには、白い手袋をはめた連中が10人前後いたようです」
50年前、2人が逃走に到った経緯を宇賀神氏が語った。
宇賀神氏
「歩いているうちについてくる2人がいて、『タクシーで新宿まで出るぞ』と。芝生の上でごろ寝しながら『俺たちは一体どうしたらいいんだ』と」
安宿を転々とする間、宇賀神氏は桐島容疑者の長髪にハサミを入れたという。
宇賀神氏
「髪を切ればわからないだろうと。横滑りしちゃうんだよ刃が。ざんぎり頭に短くしてあげて」
自らの指名手配を新聞で知り、2人は別れて逃亡することを決めた。
宇賀神氏
「慌てたね。一緒にいるのはまずいので、一旦別れて逃げようと、再び会おうと」
再会を約束したが、宇賀神氏は7年後に逮捕され、懲役18年の判決を受けた。一方、桐島容疑者は逃亡を続けていた。
同級生が明かす“桐島聡”「どちらかといえば人に影響されやすい」
桐島容疑者の指名手配に巻き込まれた人が、地元・広島にもいる。
桐島容疑者の高校の同級生・岡田龍太郎さん(71)は、桐島容疑者とは別の東京の大学に進学した。
岡田龍太郎さん
「(桐島は)どちらかといえば人に影響されやすい。『おい、桐島遊びに行くぞ』と言えば行く。断るようなことをしない男」
大学4年生の時、桐島容疑者が指名手配されると同級生は執拗な事情聴取を受けたという。
岡田さん
「お前が逃げたおかげで同級生は警察に色々調べられたし、家族はそれ以上だろうと。早く出て、詫びの一言でも入れろという気持ちが強かった」
逃亡生活中の大胆な行動
桐島容疑者が逃亡を始めたころ、藤沢市の鉄工所で雇ったという男性は、暴力団関係者から「内田」という名前で紹介されたという。
小村隆さん(76)
「(暴力団)組員が連れてきた。『親父、ちょっと面倒見てやってくれ』と」
3か月ほど働くと、桐島容疑者は姿を消したという。
小村隆さん
「(桐島容疑者に対し)『どっかでみたことあるな』って言ったら、『顔の似ている人はいっぱいいますよ』と。そしたら月末にいなくなった」
桐島容疑者はその後、別の工務店で約40年働いた。
職場では寡黙だったが、私生活では指名手配犯とは思えない大胆な行動をとっていたことが知人らの証言から分かった。
バブル絶頂期にはディスコで踊り、ライブを観るため東京や横浜も訪れていた。友人らとスキーやキャンプ、釣りにも出かけていたという。
桐島容疑者が25年通い続けたバーの店長が、初めてカメラの前で語った。
店長の男性
「(桐島容疑者を)『ウーヤン』という呼び方。映画の話、音楽の話で盛り上がるのが一番好きっていう感じの方でした」
店のイベントの名簿には愛称「ウーヤン」の文字も。桐島容疑者に、男性は友人として特別な絆を感じていた。
店長の男性
「自分の誕生日はちゃんと覚えててくれて、何かしら毎年持ってきてくれていました。古い映画のビデオをもらったりとか、たまたま安売りのお店行ったら僕に似合うような洋服があったとかで買ってきてくれたりとか」
常連客と場を盛り上げ、バーでは陽気な姿をみせていた。
店長の男性
「彼が大好きなミュージシャンがいて、毎日飲んでいる缶チューハイの缶をずっとためて、その中に石ころをたくさん入れてガムテープで縛って、来たお客さん全員にマラカスとして、みんなで応援してねって言って、何十個も作ってきたりとか」
2023年、桐島容疑者は男性に病気を告白した。
店長の男性
「僕には『咽頭がんだ』っていう話をされて、『しばらく飲みに行けないから』って 。その1か月後ぐらいに『もう手術をして、治ったのでまた行くね』って」
その約束が叶うことはなかった。
桐島容疑者との“約束の地”
2003年に刑務所を出所した宇賀神氏は桐島容疑者の命日にあたる1月29日、鎌倉市の神社を訪れた。
宇賀神氏
「桐島との待ち合わせ場所。約束の場所。(逃走を始めて)3か月たったら2人で会おうと。話し合おうということで別れたんです」
50年前の約束の日、宇賀神氏は境内を歩き回ったが、桐島容疑者の姿は確認できなかった。その後も、毎年のように神社を訪れたという。
宇賀神氏
「会えなかったです。会えなかったですね。それから50年会っていない」
桐島容疑者の同級生・岡田さんは、桐島容疑者が三菱重工爆破事件に関わったかのように報じられたことに、違和感を抱いていたという。
岡田さん
「極悪人扱いだよ。それは許せないところもあった。実際には桐島がどこまで関与していたのかをはっきりさせてやりたい。桐島のためにも。死んでからもむち打たれることはないだろうと」
50年間 抱え続けた疑念
なぜ、桐島容疑者は過激派に身を投じたのか。岡田さんは、その理由を宇賀神氏に尋ねようと鎌倉市を訪れた。
50年間抱え続けた疑念を宇賀神氏にぶつける。
岡田さん
「『(桐島容疑者は)人に影響されやすい男だな』という思いはあった。だから常に思ってきたのは、そういう方向へ引っ張り込まれたんじゃないかという思いが強かったわけです」
宇賀神氏
「影響されて動くような人間じゃない」
岡田さん
「失礼ですけど『宇賀神に引っ張られたんよ』という話はしてたんですよ。仲間内はね。だから実際にはどうだったんか」
宇賀神氏
「引っ張るような人間に見えますか?私が」
「彼が誰かに引っ張られていったのではなく、自分の判断でそういう戦いを選んでいった。彼が単に何も考えない人間だと。絶対にそれはおかしい。間違っています」
宇賀神氏は桐島容疑者を強引に組織に引き込んだわけではないと否定した。
岡田さん
「大学1年の夏頃までは、(桐島に)全くそういう雰囲気はなかったわけですよ」
宇賀神氏
「中国人や朝鮮人に対する戦中・戦後の反人権行為に対する問題意識とか、そういうものを勉強していく中で、テロ闘争を選ぶようになった」
岡田さん
「桐島から望んでグループに入ったということですか」
宇賀神氏
「結果的にはそうでしょうね」
岡田さんは、「せめて出頭を促すべきだった」と食い下がった。
岡田さん
「先に出所されて、桐島の罪状も知っているわけでしょ。なんで(出頭を)呼びかけてくれなかったのか」
宇賀神氏
「生きているかどうか分からない。出てきても刑務所にいることになる。だから出ない方がよかった」
岡田さんと宇賀神氏の考えは、平行線を辿った。
2人は桐島容疑者の「内田洋」としての生活を知りたいと、藤沢市のバーを訪ねた。店長の男性は事件の被害者に配慮しつつも、本音を伝えた。
店長の男性
「自分たちがお話をすると、楽しい思い出しかないわけで。被害者の方がいることを考えると、素直にその気持ちは出てこなかった。僕にとっては内田さんは内田さんであって、仲が良かったぶん、友達が亡くなったのと同じ感覚でもあるので、寂しいです」
2024年、宇賀神氏は手記で桐島容疑者の逃亡は「公安警察への勝利」だったと記した。
その感情に変化がみえた。
宇賀神氏
「テロリストではなくて、普通の人間として生き直していく。『(警察への)勝利宣言』というには不釣り合い」
最期に本名を明かした理由とは…
桐島容疑者は2024年1月、路上で動けなくなり病院に運ばれた。
桐島容疑者
「桐島聡です。最期は本名で迎えたい」
末期の胃がんだった。 死の間際、いくつかの事件への関与を認めたという。
桐島容疑者が、最期に本名を明かしたのはなぜだったのか。
宇賀神氏
「名もない内田という人が死んだんじゃなくて、 桐島聡として自分は生きて、内田として装いながら生きてきたと知ってほしかった」
男性も思いをめぐらせた。
店長の男性
「彼はまじめな性格だと思うので、最後は自分でけじめをつけたような気もする。(事件への)謝罪の意味も込めて、内田洋が桐島聡を名乗ることによって、桐島聡を抹殺したような気がする」
宇賀神氏は、桐島容疑者が暮らした建物を初めて訪れた。
──50年という月日を感じるか?
宇賀神氏
「感じるかな。トタンのサビやなんかで。(自分は)過ちというか、やってはいけない戦い方をしてしまった。それが分かってきた」
ーー同じように桐島も感じていた?
宇賀神氏
「当然そうだと思います。彼の付き合ってきた人たちを見ると、(私の思いと)それほどの違いはない。やっぱり彼の思いを知りたいですね。知りたかったですね」
桐島容疑者の部屋には、1枚の紙が残されていた。手書きで記されていたのは、哲学者の言葉だった。
「後を向けば人生を理解できるが生きるには前を向くしかない」
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