
「ニュースステーション」や「ザ・ベストテン」などで人気を博し、アナウンサーとして放送界に大きな足跡を残した久米宏さんが1月1日に亡くなった(享年81)。TBSラジオ時代からの付き合いだった親友・林原博光さん(富良野自然塾副塾長)が、プライベートでの久米さんの秘話やその素顔について語った。
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ラジオで鍛え、開花した久米さんの才能
「やっぱりラジオの人ですよ、この人は。久米さんの一番の才能を発揮したのがラジオだった」
こう語るのは、久米宏さんと「親友」の関係にあった元TBSの林原博光さん。久米さんより1つ年上だが、TBS入社は1968年で、久米さん(1967年入社)の1年後輩にあたる。
ラジオに配属された林原さんはそこで久米さんと一緒に仕事をし、以来プライベートでも親交を深め、「久米ちゃん」「原(バラ)」と呼び合う仲になったという。
若き日の二人がタッグを組んだラジオ番組は、「土曜ワイド・ラジオTOKYO」。この中の「素朴な疑問シリーズ」を林原さんがディレクターとして担当。そして、久米さんの才能や魅力が全開して人気コーナーとなり、書籍にもなった。
『お寿司はなぜ二個ずつ握るの?』『ガマンしたオナラはどこへいく?』『おヘソは上半身?下半身?』など日常的なものから下ネタっぽいものまで、リスナーから寄せられた幅広い“素朴な疑問”に対し、久米さんが役所や病院、お店などあちこちに生で電話してその答えを引っ張り出すというのがウリだった。
「昔、駅の改札で切符をパチンと切るじゃない。あれは何のためにやるの?という疑問の回に、久米さんが当時の国鉄に電話してさ。すると課長さんみたいな人が出てきて話すんだけど、電話の向こう側で『お前、これどうすればいいんだよ』とか『これ、どうなのよ』とか相談してる。その会話を久米さんが全部拾うんだよ。それは天才的なところがあってね」
「そうしたら、電話に上司みたいな人が出てきて、『それはあれです。挨拶ですよ、国鉄の』と。それで久米さんは、『え、どういうことですか?パチン、行ってらっしゃい!パチン、行ってらっしゃい!ということ?』と。やっぱり久米さんがやると面白いんだよ。で、『あなたは上司の方ですか?さすがですね』みたいなことを言う。それだけで結構行けちゃうんだな」
「これは久米さんじゃなきゃ出来なかった。あの人が天才的なのは、リスナーにイメージさせるんだよ。つまらないことでも、それがいかに面白いか、その絵を聴いている人に想像させるんだな」
久米さんは次第にテレビに活躍の場を広げ、「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」などで名司会ぶりを発揮したが、こうしたラジオの舞台で磨いた“話力”がその基礎になったと林原さんは考えている。
親友の実家・鳥取で農作業を体験
久米さんが1979年にTBSを退社しフリーになってからも、二人の親交は続いた。仕事の相談も折に触れてしていたというが、林原さんの一番の思い出は、久米さんが「ニュースステーション」のキャスターになって5年ほど経った1990年の夏休みの出来事だ。
「久米さんはお父さんがサラリーマンで、早稲田の政経学部卒のエリート。ベンツが好きで、夏休みにスイスとかヨーロッパをベンツで走るのが一番の夢だった。しかし、ニュースステーションはエリートだけが観るわけじゃなくて、一般の人たちが観る。このままじゃ駄目になると思ったのね。要するに、農業や漁業のことも知らないといけない。それで、『夏休みにオレんちに来い』と」
林原さんの実家は鳥取の農家。久米さんはそこで農作業などを手伝うことになった。
「おふくろに、『久米さんが夏に来るって言っているけど、有名人だから他の人に絶対言うな』と言ったんだけど、久米さんが初日に家に着いたら、家の前の道に100メートルくらい村人が列を作っていた。それで、『誰にも言うなと言っただろ』とおふくろに言ったら、『私、言ってないよ』と。『それならなんで道に並んでるんだ』と言ったら、『私、一人にしか言ってないもん』って(笑)」
そんな状況で久米さんは「隣村までは無しにしようね」と笑いながら、並んでいた人全員にサインのサービスをしたという。
そして、久米さんはそれから数日間、林原さんの実家で、雑草刈りや牛のフンの始末などの農作業に従事した。
「最初は、『もうやだよ、お前』と言ってたけど、彼が途中から言い始めたのは『くたびれた~』って。そう言いながら、心地いいんだよ、たぶん。疲れたから嫌だと言わなかったから。牛のフンの始末も手についたりして『わぁ、臭いなぁ』と言いながら、全部自分でやった。こいつはすごいなと思った」
イカ釣り漁船の上で叱られるも…
林原さんはさらに、久米さんに漁業も体験してもらいたいと考え、知り合いの漁師さんに頼んで、一緒にイカ釣り漁船に乗せてもらったという。
「鳥取の淀江という港からイカ釣り漁船が出ていて、夕方に船を出し、夜中に漁をするんだ。他の漁師さんたちは、久米さんだってことは、テレビに出ている人だってことは知ってるけど特別扱いはせず、『久米!ちゃんと縄を引っ張れよ』と働かせて。久米さんは一晩中ヘロヘロになってやっていた」
「それで、イカを全部船に揚げ終えて、漁師さんが『お前もくたびれただろう』『はい、疲れました』と。それで錆びた包丁を取り出して、『そこの板でイカを切って、醤油もあるからかけて自分で食え』って。そしたら久米さんは『箸ありますか?』と。『バカ、船の上に箸なんかあるわけね―だろ』『箸がないなら、どうやって?』『お前バカか、手で食えばいいじゃん、手で』って」
「久米さんは漁師さんに世話になって逆らえないんで、刻んだイカを手で鷲掴みにして口に入れたら、『うわぁ、うまいなぁ』ってしみじみ言うんだよ。その表情も含め、今でも全部覚えてる」
この体験が強烈だったのか、久米さんは後年、酒席などでイカを食べる際に「イカは手で食べるのが一番」と講釈していたという。
倉本聰氏に頼まれた過酷な作業
林原さんは、ラジオ時代にラジオドラマ(「羆嵐」)の脚本をお願いしたのがきっかけで脚本家の倉本聰氏とも親交が深い。そのつながりで久米さんも倉本氏の拠点である北海道の富良野にたびたび足を運んでいたという。
林原さんは、倉本氏が俳優・脚本家を養成する富良野塾を立ち上げた1984年前後に久米さんが富良野を訪れたときのエピソードも明かしてくれた。
「倉本さんが『久米さん、時間あるの?』って聞いて、『ありますよ。何かお手伝いしますか』と答えたら、『ちょうどいいやつがある』と。倉本さんは富良野塾の話をして、『うちはさ、まず肉体労働から始まるんだ。久米ちゃん、いいところに来たな。穴掘ってよ』って」
久米さんは「ええっ」と反応しつつも、「先生の言うことだったら何でもやりますから」と引き受け、富良野の森の一角の広くなっている場所に、つるはしなどの道具を使って、深さ1.2メートルくらいの穴をひとりで掘り始めたという。
「穴掘りが途中まで来たらヘロヘロになって、『先生、(目標まで)まだこんなにあるんですけど』と。倉本さんは『まだそんなもんじゃ駄目だよ』と言ってさ。そしたら、久米ちゃんがぽそり、『オレ、有名人だよな』って(笑)」
有名人なのに誰も見ていないところでひたすら穴を掘り続けた久米さん。結局、2~3日かけ、ひとりでやり遂げたという。
「久米ちゃんも意地だな。ここでやめたなんて言われたら、先生になんて言われるかわからない。それだけは嫌だから、ひたすら必死になってやってた」
久米さんが苦労して掘った富良野の穴。どんな目的の穴だったのか思い出せなかった林原さんは、先日、倉本氏に電話して尋ねたという。
「『あの穴はなんのための穴だっけ?』と聞いたら、倉本さんも『あれ、なんだったけな』って(笑)」
二枚目の下に三枚目の素顔
林原さんにとって、親友の久米さんは、どんな人だったのだろうか。
「いいやつだった。人から生まれつきの二枚目と思われているじゃない。でも三枚目のところがあるんだよ、結構あいつ」
「まわりにはいろんな人がいるじゃない。それを分けるとふたつタイプがあって、『有縁』と『無縁』っていう。縁が有るか無いか、これは神様が決めているみたいな気がするんだよ。縁が有る人って、こいつは大事にしたいって。少々失敗したり、間違ったりしても助けるのはオレの役目だと思うし、久米ちゃんはそのうちの一人。地位が上だとか有名人だとかは関係ないんだよね。友達として、いいやつなんだよ」
〈久米宏(くめ・ひろし)氏の略歴〉
1944年 埼玉県生まれ。
1967年 早稲田大学政治経済学部卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。
テレビ番組「ぴったし カン・カン」、「ザ・ベストテン」などで絶大な人気を得る。
1979年 TBSを退社し、フリーの司会者・キャスターへ。
1985年~2004年 テレビ朝日系『ニュースステーション』メインキャスター。
2006年~2020年 TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』
2026年1月1日 死去(享年81)。
*TBSラジオは2月7日(土)13時から『特別番組 久米宏 ラジオなんですけど』を編成。過去の音源も放送する。
〈林原博光(はやしばら・ひろみつ)氏の略歴〉
1943年 鳥取県生まれ。
1968年 TBS入社、ラジオ・テレビ番組の制作にあたり、のちに人事部長。
1980年に演出したラジオドラマ「羆嵐」(主演・高倉健)は第7回放送文化基金賞番組賞を受賞。
2003年 定年退職。
2006年より脚本家の倉本聰氏が主宰する「NPO法人 富良野自然塾」の副塾長。
2023年より「奥大山自然塾」エグゼクティブプロデューサーも務める。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。
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