NTTが提唱する次世代通信基盤「IOWN」がこれまでの放送の限界を超えようとしている。TBSの情報生番組とタッグを組んで行われた実証実験は、この技術革新が近い将来、放送業界に大きな変革をもたらすことを予見させるものとなった。TBSテレビ・メディアテクノロジー局の平井郁雄・設備戦略担当局長が報告する。
【画像で見る】NTT「IOWN」とTBS「ひるおび」の共同実験から見えた放送インフラの近未来
TBSとNTTの共同展示で実証実験のデモンストレーション
2024年11月25日から29日にかけて、武蔵野研究開発センタで開催された「NTT R&D FORUM 2024:IOWN INTEGRAL」は、5日間で約2万人の来場者を集める大規模なイベントとなりました。
会場では、IOWNの実用化に向けた最新の技術展示が行われ、特にTBSとNTTによる共同展示ブースには、岸田前総理大臣など放送以外の関係者も多数来場され、注目度の高さが伺えました。
この共同展示は、TBSとNTTの資本業務提携を具体化する重要な取り組みの一つで、放送業界が直面する技術者不足や制作効率化という課題に対し、IOWNという革新的な技術基盤を活用して解決策を提示する意欲的な試みです。
展示会場では、実際の放送番組「ひるおび」と連携した実証実験のデモンストレーションが行われ、来場者に従来の放送制作の常識を覆す新しい映像制作の可能性を目の当たりにしていただきました。多くの放送局関係者やメディア企業の技術者も熱心に見学し、デモンストレーションに関する具体的な質問や意見交換が活発に行われる様子も見られました。
「電気」の代わりに「光」~IOWNが可能にする「大容量・超高速伝送」と「大幅な省電力化」~
IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)は、NTTが提唱する革新的な次世代通信インフラの構想のことです。そのゴールは従来の電気を必要とする電子回路ベースの情報処理や通信から、光技術を活用した新しいネットワーク・情報処理基盤への転換です。
簡単に言えば、「電気」の代わりに「光」を使って情報をやり取りする新しい通信技術への移行を目指しています。
この技術革新により、「大容量データの超高速伝送」、「物理限界に迫る超低遅延通信」、「時間のゆらぎのない安定した通信」、「複数拠点間での同期した情報処理」、「従来比で大幅な省電力化」が可能になります。
北米や欧州への接続も視野に入っており、将来的には「音楽の日」のような番組で、世界的なアーティスト達が東京・ロンドン・NYを結んで、リアルタイムでセッションするのも夢ではありません。
放送局にとっては大容量・超高速伝送などが大きなメリットですが、昨今、データ通信量の増大やAI技術の発展が将来的に深刻な電力不足を引き起こしかねないと懸念されているため、従来比で最大100分の1まで電力消費量を押さえらえるIOWNの光技術は、持続可能な成長を支える重要基盤技術としても期待されています。
またIOWN構想の世界的普及を目的とした「IOWNグローバルフォーラム(IOWN GF)」には、Intel、Sony、Microsoft、NVIDIAといった世界的なテクノロジー企業をはじめ、200社以上の企業や研究機関が参画しています。各社が自社の強みを活かした実証実験を世界各地で展開しており、通信インフラだけでなく、自動運転、スマートシティ、医療、エンターテインメントなど、幅広い分野での活用検証を実施。その歩みは社会実装に向けて着実に進んでいます。
TBSも2023年12月に、放送局としては世界で初めて加入し、これらのメンバーと共にIOWNの社会実装に向けた実証実験などに参加させてもらっています。
IOWNが放送業界に与えるインパクト
2024年現在、IOWN構想は研究開発フェーズから実用化に向けた実証実験の段階へと移行。NTTは2030年の本格展開を目指しており、様々な企業や団体とパートナーシップを結び、具体的なユースケースの開発を進めています。
大きな転換点を迎えている放送業界にとっても、IOWNは放送設備や番組制作のあり方を根本から変革する可能性を秘めています。その影響は、技術面から経営面まで広範囲に及ぶと予測されます。
〈1〉超高速・大容量・低遅延ネットワークが設備配置の自由度を向上
〈2〉オンデマンド接続(注1)による回線コストの最適化
〈3〉リモートプロダクション(注2)によるリソース不足問題の解消
(注1) 必要な時だけ接続できるサービス。
(注2) 撮影現場と映像加工を行うプロダクションをネットワークを介して、遠く離れた別々の場所で行う映像制作手法。例えば、横浜のサッカー場に複数台のカメラを配置し、全ての映像を別々に東京のスタジオに伝送し、スイッチングを行うなど。
〈1〉超高速・大容量・低遅延ネットワークが設備配置の自由度を向上
巨大装置産業である放送局の設備配置の常識が一変します。
従来、マスター設備やスタジオ設備、回線センターなどは物理的に近い場所に集中して設置する必要がありましたが、IOWNの超高速・大容量・低遅延の光ネットワークにより、これらの設備を地理的に分散配置できるようになります。
極端な話ですが、スタジオは赤坂、オペレーションルームは福岡、機材を納めているラック室は北海道でも言いわけです。これにより、設備配置を電力コストの低い地域や、自然災害リスクの低い場所などへの選択が可能となり、さらに設備の冗長化や分散化による事業継続性の向上も実現できます。
このような柔軟な設備配置は、放送局の運営効率を改善し、より柔軟な放送インフラ構築を可能にします。
〈2〉オンデマンド接続による回線コストの最適化
IOWNが目指している「オンデマンド接続」が、常設回線に要するコストを大幅に削減する可能性があります。
例えば、2028年竣工予定の赤坂エンタテインメント・シティのような大規模施設にTBS放送センターから常設回線を施設しようとすると数億円規模の費用が必要ですが、必要な時だけ高品質な回線を確保する「IOWNオンデマンド接続」が可能となれば、初期投資の大幅な削減、運用コストの最適化、そして柔軟な回線リソースの活用が実現できます。
また、将来的に日本全国の主要なスポーツ競技場やアリーナにIOWNが整備されることで、急な中継回線確保にも柔軟に対応できるようになります。
日本シリーズ第5戦、第6戦のような放送が不確実なスポーツ中継でも、決まった段階で対応が可能になります。
〈3〉リモートプロダクションによるリソース不足問題の解消
IOWNは番組制作のワークフローも大きく変える可能性があります。
特にこれまでのネットワーク容量ではストレスがあったリモートプロダクション分野で大きな進化が期待されています。
従来は、中継現場に大型中継車や制作機材の搬入、多くの技術スタッフの派遣が必要でしたが、IOWNを活用したフルリモートプロダクションでは、最小限の機材と人員で高品質な中継制作が可能となります。
これにより中継車の稼働を大幅に削減できるだけでなく、現地スタッフの人件費最適化、さらには機材・人材の効率的な再配置による生産性向上が可能になります。放送局の機動力アップとともに、深刻化する技術者不足という構造的な課題解決を目指すことができそうです。
実証実験を繰り返すことで、限られた人材リソースを最大限に活用する新しい働き方のモデルケースを生み出すことを目標としています。
世界初、IOWNを活用した生放送フルリモートプロダクションの可能性を実証実験
NTT R&DフォーラムのTBSとNTTの共同展示では、IP化された放送設備とIOWNの組み合わせで、どこまで実践的に生放送対応できるかを、TBSの情報番組「ひるおび」と連携して検証しました。
生放送の映像プロダクションは、映像・音声の同期や映像の切り替え、出演者とスタッフの緊密なコミュニケーションなど、テレビ制作の中でも厳しい要件が求められる制作現場の一つです。わずかな遅延や同期の乱れも許されず、機器やシステムの信頼性が厳しく問われます。
「ひるおび」という生放送番組での実証を選択することで、IOWNを活用したフルリモートプロダクションが放送業界の最高水準の要求にも対応できることを証明。生放送という最もハードルの高い映像制作ができたことで、収録番組やスポーツ中継など、他のあらゆる番組制作でもIOWNを活用したリモートプロダクションが十分に実用可能であることが示されたと言えるのではないでしょうか。
超低遅延での遠隔操作を実現
今回の実証実験は、TBS赤坂(映像ソース)‐NTT蔵前DC(映像機材本体)‐NTT武蔵野センタ(リモートパネル)の3拠点をIOWNで繋ぎ、行われました。
TBS赤坂「ひるおび」の生放送スタジオでは、同タイミングで映像ソース32系統(カメラ映像、VTR再生映像、中継映像、CGなど)すべてをIP化、非圧縮ST2110(注3)でNTT蔵前DCにIOWNで伝送しました。
(注3)映像・音声・メタデータをIPネットワークで同時に伝送するための規格の1つ。主に放送局設備での運用を前提に設計されているもの。
蔵前DCには、通常であれば放送局内に設置される映像設備のコア部分(映像スイッチャー本体、マルチビューワー本体、インカムシステム本体など)をすべて集約し、映像スイッチングなどのプロセッシング機能を持たせました。
NTT武蔵野研究開発センタは、スイッチャーのリモートコントロールパネルだけが設置されており、蔵前DCとIOWNで通信することで、ほぼ0ミリ秒という超低遅延での遠隔操作を実現。生放送に求められる即時性の高い映像切り替えやエフェクト操作なども、通常の運用と変わらない操作性で実行できることを確認できました。
また、今回は1台のIPカメラを検証用に「ひるおび」スタジオに設置し、実際にNTT武蔵野からカメラタリーやインカムによる指示出しも問題なく行えることも確認しました。
生放送番組の全映像ソースを扱いながら、安定した品質と運用性を確保できたことは、IOWNを活用したリモートプロダクションの可能性を高く評価する結果と言えます。
共同実証実験の技術評価
今回の取り組みでは、IOWNを活用したリモートプロダクションの実用性について、複数の重要な技術的結果を残すことができました。
〈1〉超大容量映像伝送の実現
〈2〉リアルタイム遠隔操作が可能なレベルの応答性
〈3〉高精度なPTP同期制御
〈1〉超大容量映像伝送の実現
映像32ソースをHD品質非圧縮映像(1ソースあたり1.5Gbps)を同時伝送することに成功し、さらにST2110に完全準拠した映像伝送を実現しました。IOWNの伝送容量100Gbpsに対して、48Gbpsしか使っておらず、まだまだ余裕がある結果となっています。
また、映像のST2110と音声のDanteという異なるIP伝送プロトコルを、同一のネットワーク上で安定して伝送できたことも大きな進歩となりました。これまで分離して扱う必要があった両規格を統合できたことは、システムの簡素化と運用効率の向上に大きく貢献する成果となります。
〈2〉リアルタイム遠隔操作が可能なレベルの応答性
スイッチャーやカメラマンが違和感をもつことなくオペレーションするには、一般的には3フレ遅延(注4)が許容範囲レベルと言われています。生放送でカメラマンが演者の動きに合わせたフォーカスやズーム操作を可能とし、スイッチャーと息の合った連携ができます。高品質な番組制作の実現には必要な基準といえます。
(注4)テレビでは1秒間に30枚の画像(フレーム)が表示されるので、1フレーム遅延は33ミリ秒。すなわち3フレは約0.1秒の遅延となる。
今回の実証では、IOWNによる伝送遅延はほぼゼロだったものの、映像ソースIP化で1フレ、スイッチャーのプロセッシングで1フレ、マルチビューワー作画で1フレのシステム遅延があり、合計で3フレという結果になりました。
実際の生放送ではマスターからの送り返しで更に1フレ遅れ、合計4フレになるためシステム遅延の改善が求められる結果となりました。
〈3〉高精度なPTP同期制御
映像の乱れなく放送を出すには、同期信号というものが必要になります。TBS局内の映像(ベースバンド)も、1つのマスタークロックから供給されるBBという同期信号でタイミングを合わせています。
ところが、ベースバンドからIP化されると、PTPという高精度な同期制御が求められるため、制御信号を何回も複製しながら、遠くまで送ることができないという弱点がありました。
しかし、回線の揺らぎが1マイクロ秒未満というIOWNの採用で、3,000キロ離れた拠点でもPTPの同期維持に成功、安定した映像切り替えや映像合成が可能となりました。
PTP同期の問題は、生放送における信頼性確保の点から極めて重要で、放送機器の同期制御に求められる高い要求水準をクリアできたことになります。
放送業界に革新的な変革をもたらす可能性
今回の「NTT R&D FORUM 2024」の共同展示は、NTTが提唱する壮大なIOWN構想の一部である「放送業界におけるリモートプロダクション」にフォーカスした取り組みでした。
実験結果として、放送局の制作ワークフローや設備計画に大きなパラダイムシフトをもたらす可能性があることも分かりました。
放送設備の物理的な制約が解放されれば、柔軟な制作体制が構築できます。系列同士の垣根を越えてプロダクションセンターを実現できれば、従来の設備計画を根本から見直す契機となる可能性すらあります。
一方で、IOWNの本格的な実用化に向けては、いくつかの重要な課題が存在することも明らかになっています。
一つは料金設定の問題。回線費用が高額になれば、設備投資と見合いが取れず、逆にコスト高になる可能性があります。放送局各社が積極的に導入を進めるためには、コストパフォーマンスが重要です。
次に契約形態の柔軟性の問題もあります。長期の契約期間を求められる程、放送局側の機動的な運用ニーズとマッチしません。スポーツ中継やイベント中継など、短期間利用の対応が求められます。
また、IOWNの回線開通に要する時間の短縮も重要です。発注から開通までの期間を、より迅速にする仕組みづくりが必要です。
技術面では、システム遅延の更なる改善が課題として残されています。現状でも生放送に対応可能なレベルには達していますが、音楽番組のようなより複雑な番組制作や、より長距離の伝送を考慮すると、もう数フレ遅延の短縮が望まれます。
これらの課題は、IOWNの社会実装に向けて克服すべき重要な要素ですが、いずれも技術の進展や運用の最適化によって解決可能な範囲のものと考えています。
今回の取り組みは、IOWNが放送業界に革新的な変革をもたらす可能性を示してくれました。特に、生放送という最も要求水準の高い環境下での検証に成功したことは、極めて重要な一歩と思います。
今後、残された課題が一つ一つ解決されていくことで、IOWNは放送業界の新たなインフラストラクチャーとして、その存在感を増していくことでしょう。 放送業界の持続可能性を高め、より創造的なコンテンツ制作を可能にする基盤に成長することに期待しています。
〈執筆者略歴〉
平井郁雄(ひらい・いくお)
1995年TBS入社
以降、TBSラジオ部門、TBSテレビ・プロダクション技術部門、報道技術部門、TBSインターナショナル・NY支局、TBSテレビ・未来技術設計部、技術戦略部長を経てメディアテクノロジー局設備戦略担当局長(現職)
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。
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