
ロシアによる全面侵攻から3年が経ち、4万6000人以上のウクライナ兵が亡くなった。夫に先立たれた妻たちは、今進められる「停戦交渉」を心から受け入れられずにいる。女性たちの胸には、犠牲になった人々への思いと、反故にされた国際社会との「約束」があった。(TBSテレビ 城島未来)
【写真を見る】戦死者4万6000人以上…遺された妻たちはなぜロシアとの停戦交渉を受け入れられないのか 守られなかった30年前の“約束”
「生きなくては」太陽の絵を描いたひと
気温マイナス2度。頬を赤くした小さい子どもの手を引きながら、ぽつりぽつりと女性たちが会場に入っていく。ロシアによる全面侵攻から3年を迎えようとしていた2025年2月、首都キーウの会場で「女性ばかり」が集まる会が開かれていた。
会場には色とりどりの絵画が並ぶ。
キャンバスからこぼれ落ちそうなほど燃え盛る太陽の絵に、目が止まる。
絵の下には、顔をほころばせ、頬を寄せ合う夫婦の写真が貼られていた。表情から、互いへの深い愛が滲む。
「夫と私は、お互いのことを『太陽』と呼んでいたので」
絵を描いたのは、キーウ近郊に住むオクサナ・ボルクンさん(41)。
夫ボロディミールさんは、2022年 東部ドネツク州の激戦地バフムトでロシア軍と戦い、死亡した。
「耐え難い苦しみでした。自分が死んだも同然でした」
夫は大切なパートナーであり、親友でもあった。一心同体のような夫を亡くし、半年間はただただ現実に打ちのめされ、生きる気力を失い、暗闇から這い出せずにいた。
ところが、再び立ち上がるきっかけをくれたのも、夫だった。
「夫は生前、親を亡くした遺児のために毎年寄付を募り、プレゼントを贈っていました。私が夫の意思を継ぐ番だと思ったんです」
オクサナさんは、戦争で夫を亡くした女性や遺児を支援するため「WE HAVE TO LIVE」ー日本語で「生きていかなくてはならない」という団体を設立した。
ゼレンスキー大統領は、ロシアによる全面侵攻以降、死亡したウクライナ兵はこれまでに4万6000人を超えると明かした。
夫を亡くした妻たちも、数万人にのぼると推計されている。
子ども4人を抱え「育てていけない」と追いつめられてしまう人、夫の遺体すら見つからず死と向き合えずにいる人。
周りから腫物を触るかのような扱いを受け、孤立し、自殺してしまった人もいた。
オクサナさんは、自分よりも残酷な状況に置かれた女性たちを前に、動かなくてはいけないと感じた。夫が自分に前を向かせるために、天国からそう仕向けてくれたのかもしれない。
「『(遺された私たちも)生きていかなければいけないよ』、という言葉は、寡婦たちが合言葉のように使っていた言葉です。絶望の中にいる寡婦たちが、ひとりで悲しみに向き合うのではなく、手を携え、悲しみを“ともに経験する”方がずっといいと思ったんです」
オクサナさんの団体では、現在6000人にのぼる寡婦たち、2000人にのぼる遺児たちのサポートをしている。経済的な支援から、相談会やセラピーなどによる精神的なケアも行う。
この日開かれたイベントも、そうした女性たちの心のケアの一環として始まった。
会場に飾られた160点の絵画は、すべて寡婦たちにより描かれたもの。閉じ込めてしまった感情を解放し、自己表現することを手助けする「アート・セラピー」を通じてつくられた作品たちだ。
最愛の人を失ってもなお、続く戦争という「日常」の中で、少しずつ前を向けるように、寡婦たちは支え合っていた。
「死んだ夫に顔向けできない」 国際社会が反故にした“約束”
しかし、オクサナさんは現時点での「停戦」は望まないという。
「私はロシアが本当に停戦するとは思えない。戦争は、2014年ロシアが一方的にクリミア半島を併合してから10 年間も続いているんです。停戦の合意がいくつあっても、ロシアはウクライナに向けて発砲し続けるでしょう」
オクサナさんを含め、多くのウクライナ国民の頭の中には、1994年に交わされた「ある約束」がある。
1991年のソ連崩壊後、ウクライナはアメリカとロシアに次ぐ世界3位の核大国だった。
その核を放棄させる代わりに、アメリカ・イギリス・ロシアの3か国はウクライナの「安全を保障する」と約束したのだ。「ブダペスト覚書」である。
「領土をすべて取り戻すまで、国際社会はウクライナを支援すべきです。それが公平じゃないですか?それが、私たちが核兵器を放棄したときに、国際社会が引き受けた約束です」
クリミア併合でロシアが覚書を一方的に破棄したにもかかわらず、国際社会はプーチン大統領を止めることができなかった。ウクライナを守ることができなかった。
そして2022年2月24日、ロシアによる全面侵攻が始まった。
実際、ウクライナ市民からは「ロシアとの約束を信じてはならない」という声がよく聞かれる。あの時の過ちを二度と繰り返してはならないと、今進められている停戦交渉にも懐疑的な人が少なくない。
支援団体のメンバーであり、2年半前に同じく夫を亡くしたユリア・セルチナさん(41)さんも、複雑な思いを打ち明ける。
「停戦するのであれば、2022年の侵攻直後に行われた停戦交渉で合意すべきだったのではないですか?今ここで諦めてしまったら、領土を取り返すために死んでいった夫や兵士たちに、顔向けができない」
長引く戦争によって、ウクライナの人々が失ったものの大きさは計り知れない。
4万6000という数字の裏には、一人ひとり生身の人間がいて、それぞれに愛する家族がいた。
遺された人々は、その思いに、どう向き合えばいいのか。
夫を殺した戦争に、どう抗えばいいのか。
外交の舞台で進められる「停戦交渉」に、国民の心は揺れている。
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