
中東シリアのアサド独裁政権下で兵役を忌避したために迫害を受けた男性が、日本で難民認定を申請した。入管では不認定とされたものの、裁判は2回とも勝訴。ところが、いまだに難民と認められず、宙に浮いた状態が続いている。なぜなのか?「知られざる法廷」から報告する。(元TBSテレビ社会部長 神田和則)
【写真を見る】宙に浮いた難民認定 シリア・アサド政権下で迫害受けた男性を阻む行政・司法の現実
「空っぽの殻に閉じ込められた」
「仕事も財産も、一度、すべてを失った。私はアサド政権に対してだけでなく、自由な言論を抑圧するシリア国内のあらゆる過激な組織に抵抗してきた」
2025年12月、シリア国籍の男性、モハメドさん(仮名)に会った。30代、母国では大学の博士課程で学ぶ一方、輸出入に携わる会社を経営していた。流ちょうな英語に時折、日本語が混ざる。独裁政権の下にあっても信念を貫いた風格を感じさせた。
「いまの在留資格(定住者)のままだと、私に万が一何かあった場合、家族は不安定な立場に置かれてしまう。ここまで闘ってきたのは、小学3年の息子と3歳の娘の未来のため。難民と認められれば、日本人の友人はたくさんいるし、安心して新たなスタートを切ることができる」
だが、いまモハメドさんは将来の展望が描けない。
「私は美しい夢を見失っている。空っぽの殻に閉じ込められているような思いだ」
いったい、何が、起きているのか。
来日中に兵役忌避を理由に制裁
モハメドさんは、大学に進んだ後、父子二代続くアサド政権の腐敗を知り「兵役には就かない」と決心した。学業や、その後起こした会社の経営を理由に、毎年、徴兵の猶予を更新してきた。
2011年、内戦が勃発すると、「全土で約40万人以上の死者、約690万人以上の国内避難民が発生し、周辺諸国等に約550万人以上の難民が流出(国連等、2022年12月時点)」「今世紀最悪の人道危機」(日本外務省のシリア・アラブ共和国基礎データより)に突入する。
モハメドさんはアサド政権への反発を強める一方、同政権と対立する過激派組織も批判。集会を開催するなど抗議行動に出たことから、政権の治安機関によって2度、拘束されたほか、過激派側の警察部門からも指名手配を受ける。
2019年、商用目的で出国、レバノンとマレーシアを経由して、5月に輸入の取引のため来日した。ところが日本にいる間に、アサド政権の治安機関が、会社事務所と倉庫を閉鎖して従業員に退去を命じたうえ、不動産を差し押さえ、8万米ドルの残高があった銀行口座も凍結した。モハメドさんの兵役忌避への制裁が理由だった。
母国に残る妻子に対しても、治安機関員が「(モハメドさんが)帰らなければ、おまえたちを逮捕する。帰るように伝えろ」と脅し、その後、連行、拘束されてしまう。
モハメドさんは、もはや帰国はできないと判断し、2019年8月、難民認定を申請した。
私の取材にモハメドさんは「私は難民認定を申請するために日本に来たのではなかった。日本語は全然わからなかったので、もし、そのつもりならば、ヨーロッパに行っただろう」と振り返る。
確かにヨーロッパの方が近いし、英語も通じる、難民認定率も高い。日本滞在中に身の回りに異変が起きたことによって、日本政府に難民としての保護を求めざるを得なかったというのが実情だった。
アサド政権の徴兵制を肯定? 裁判での国側の主張とは
入管当局は2020年1月、難民不認定処分を出した。モハメドさんは不服として2次審査を申し立てたが結論は変わらず、翌21年5月、不認定処分取り消しと難民認定の義務付けなどを求めて名古屋地裁に提訴した。
2011年以降、国民への弾圧を強めるアサド政権に対し、日本は欧米各国と共に経済制裁を実施してきた。しかし、裁判で国側は、非人道的な行為を理由に制裁しているはずのアサド政権の徴兵制を肯定するかのような主張を展開した。
・難民条約の定義に従えば、兵役忌避は、刑罰を科される恐れがあったとしても、「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会集団の構成員であること、または政治的意見」に基づく迫害ではないから難民に該当するとは言えない。
・シリアにおいて国民の義務である兵役が課され、義務を履行しないことに対し刑罰が科される恐れがあること自体は、(難民条約上の)迫害を受ける恐れに該当しない。
・シリアでの兵役忌避に対する罰則は、1か月から最長5年の懲役、所在不明の国外脱出による招集忌避の場合は3か月以上2年以下の禁固刑および罰金で、不当に重いとまでは評価できない。
驚くのは次の主張だ。難民審査に不可欠なモハメドさんの出身国情報、つまりアサド政権の強権政治がまったく無視されている。
・原告は、兵役忌避者が最低限の訓練しか受けないまま前線に配備されることが不当な取り扱いと主張するが、戦争中の国にあって、かつ兵士が不足している場合に、これは特段不合理なものではなく、不当と言うよりもやむをえない措置である。
また、モハメドさんが迫害を受けたと訴える個々の事実については、「裏付ける客観的証拠がない」「供述が変遷している」などと否定して「信用性に疑義がある」と反論した。
「原告は難民と認められる」名古屋地裁が下した判決
「名古屋出入国在留管理局長(名古屋入管局長)の難民認定をしない処分を取り消す。法務大臣は原告に対し難民の認定をせよ」
2024年5月、名古屋地裁の剣持亮裁判長は、モハメドさんの主張を認め、全面勝訴の判決を言い渡した。
判決理由では、「シリアにおいては、兵役忌避者も反政府的見解を抱いていると見なされて弾圧の対象となる」と述べたうえで、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の報告書などを基に「シリア政府軍が無差別兵器の使用や一般市民の意図的な殺傷などの戦争犯罪、人道に対する罪、重大な人権侵害を犯しており、政府に反対しているとみなされる兵役忌避者は逮捕、尋問、拘禁の際、または兵役中にとりわけ過酷な取り扱いを受ける恐れがある」と、アサド政権の非人道性を詳細に認めた。
こうしたことを踏まえ次のように結論を下した。
「原告が帰国した場合、反政府的意見の持ち主と見なされて直ちに逮捕、拘禁、嫌がらせ、恣意的逮捕、強制失踪、拷問その他の不当な取り扱い、財産没収の対象とされる可能性がある。また兵役に就くことを義務付けられ、忌避すれば暴力を含む過酷な処罰を受け、兵役に就けば反政府的な意見を持つ者として恣意的に十分な訓練を受けないまま前線に配備されるなど、生命、身体への危険が生じうる恐れや戦争犯罪、人道に対する罪、人権法に重大な違反行為への関与を強いられる恐れがあると認められる」
「原告は難民に該当すると認められる」
6年かけて勝ち取った難民認定が一転…「登ってきた山を転がり落ちた」
国は控訴した。当初、国の主張は1審とほぼ変わらなかった。
ところが、名古屋高裁で審理が続いていた2024年12月、アサド大統領が亡命し反体制派による暫定政権が発足した。国は「アサド政権崩壊によって、少なくとも現時点において、難民と認められないことは明らか」と主張を追加した。
2025年9月、吉田彩裁判長は難民不認定処分の取り消しについては国の控訴を棄却、1審同様に「モハメドさんは難民である」と認めた。
だが、ここで問題が起きた。高裁は、難民の義務付けについては一審判決を覆したのだ。
「アサド政権崩壊を受けて、ヨーロッパではシリア難民の受け入れの審査を一時的に停止する動きが相次いでおり、難民の帰還も進んでいる。控訴審の口頭弁論が終結した2025年5月時点では、難民認定すべきことが行政庁(入管当局)にとって明白かつ当然とは言えない」と情勢の変化を理由にした。
これによって、6年余りかけてモハメドさんが勝ち取った難民認定は宙に浮く形となった。
そもそも入管段階の審査で難民であると正しい判断がなされていれば、裁判を起こす必要はなかった。さらに1審で負けた国は控訴したものの、難民性については高裁も認めない主張しかできなかった。ただの引き延ばしとしか言いようがない。モハメドさんはもっと早く保護できたし、すべきだったのだ。
モハメドさんは語る。
「長い時間をかけて山を登ってきたのに、転がり落ちてしまったような気持ち。いまのシリア暫定政権は過激な組織で、かつて私は迫害を受けた。(この政権に対する)難民認定をもう1度最初から、6年かけて求めろと言うのでしょうか…」
「これ以上、行政と司法が翻弄してはならない」
モハメドさんは最高裁に上告した。その結論がどうなろうと、地裁、高裁と2度にわたり裁判所が難民であると判断した以上、入管はまず難民認定をすべきだ。
ただそうなると、難民条約には、難民がもはや難民ではなくなる条件を定めた「終止条項」があるので、政権が代わった、いまのシリア情勢が、この条項に該当するのかどうかが次の焦点となってくる。その際に考慮しなければならないのは、以下の点だ。
UNHCRの難民認定基準ハンドブックは「難民の地位を頻繁に見直すことは、国際保護が提供しようと本来意図している難民の安心感を損なうものであって、原則として行われるべきではない」と警告している。
また、2018年12月、東京高裁はスリランカ人の難民認定をめぐる訴訟で、「終止条項」に該当するかどうかを判断するには「根本的、安定的かつ永続的に、迫害を受ける恐れが消滅したことが客観的にかつ立証可能な方法で確かめられた」場合と述べている。
モハメドさんは、アサド政権のみならず、現在の暫定政権に就いている勢力側からも、かつて迫害を受けてきた。報道によれば、国内では少数宗派への弾圧などの混乱も伝えられている。このことを考えれば、いまのシリアで「根本的、安定的かつ永続的に、迫害を受ける恐れが消滅した」とはとても言えないし、「終止条項」を安易に適用できるはずはない。
上記のスリランカ人の訴訟の代理人で、全国難民弁護団連絡会議代表の渡辺彰悟弁護士は、高裁判決を強く批判する。
「あまりの形式論で言葉もない。1審と同じように高裁は、入管の判断ミスだとしてモハメドさんを難民と認めた。であるならば、たとえ入管当局がまだ難民とは認めていなくても、彼が難民であることを前提に『終止条項』が適用されるのかどうかを検討すべきだ。アサド政権が崩壊しても、当然、いまのシリアの状況は『根本的、安定的かつ永続的に迫害の恐れが消滅した』とは言えないのだから、彼は依然として難民だ。判決は難民認定を義務付けるように命じなければならなかった」
そのうえで、次のように述べた。
「これではモハメドさんは難民であると勝訴したのに本人にとって不利益、かつ入管当局に有利な判断となってしまう。高裁は、自ら難民と認定したことを無にするに等しい。これ以上、日本の行政と司法によってモハメドさんが翻弄されることがあってはならない」
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