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21歳で特発性拡張型心筋症を発症した男性の後悔…死と隣り合わせになって「“生きている実感”がどれほど尊いか気づいた」

国内
2025-12-01 07:30
21歳で特発性拡張型心筋症を発症した男性の後悔…死と隣り合わせになって「“生きている実感”がどれほど尊いか気づいた」
21歳で突然「特発性拡張型心筋症」を発症したRYUさん
 21歳で突然「特発性拡張型心筋症」を発症し、死と隣り合わせの現実を突きつけられたRYUさん(@okinawano_shinnzou)。その時胸に押し寄せたのは“恐怖”よりも、自分の人生への深い後悔だったという。「あの頃の自分は“ただ生きていただけ”で、“生きていなかった”」。そんな言葉を口にする彼は今、心臓移植の順番を待ち、病気や入院生活、そして生き方への思いをSNSで発信している。死が身近になったことで、命の尊さや“小さな幸せ”を実感するようになったというRYUさんに、その胸の内を聞いた。

【動画カット】心臓移植の宣告を受け無になる時間…「生きるってなんだろう」RYUさんの発信

■「“いい思い出が少なかった自分の人生”に気づいた瞬間が一番悲しかった」

――「#沖縄の心臓病」「#病院界隈」として『生きるとは?』と自問自答する投稿をされていましたが、どのような想いで書かれたのでしょうか。また、実際に寄せられた反響についても教えてください。

「“生きる”という言葉は誰しも一度は考えたことがあると思いますが、実際に“死”を目の前にしないと、その意味を深く掘り下げる機会ってあまりないのではないか、と感じました。自分自身もどこか他人事のように思っていた部分がありました。でも、突然の病気で人生が変わったり、事故や事件で命を落とす人がいる現実の中で、「じゃあ生きるって何だろう」と改めて考えた時、自然とあの言葉が出てきたんです。反響は想像以上に大きく、同じように闘病している人や病院界隈で日々頑張っている方々から多くのメッセージをいただきました。みんなそれぞれの場所で、生きるために必死に向き合っている。その姿に触れて、「あぁ、自分は一人じゃないんだ」と強く思いました」

――「特発性拡張型心筋症」を21歳の時に発症されたとお見受けしましたが、診断された当時のご自身の感情について教えていただけますか?

「正直、最初は頭が真っ白になりました。医師の説明を聞いても現実として受け止められなくて、“なんで自分が?”という気持ちと、すぐに“死”が頭に浮かんでしまって…本当に怖かったです。でも、それ以上に強く感じたのは“後悔”でした。これまでの人生を振り返った時、思い出すのはうまくいかなかったことや、もっと素直に生きればよかったという反省ばかりで、“いい思い出が少なかった自分の人生”に気づいた瞬間が一番悲しかったです」

――心臓移植を選び、順番待ちをしながら約7年間の投薬生活・そして補助人工心臓をされているそうですが、現在の心持ちなど教えていただけますか?

「補助人工心臓の手術はこれからで、心臓移植の順番が回ってくるまでは早くても5〜6年かかると言われています。その時は“長いな”と思いつつ、それでも“生きられる時間”があることがありがたいと感じました。だからこそ焦らず、今の身体を大切に過ごしたいです。SNSを通して明るい姿や前向きな気持ちを届けて、誰かが“今日も頑張ってみようかな”と思えるきっかけになれたら、それが自分にとっての“生きる意味”のひとつだと思っています」

――突然の指定難病をきっかけに絵を描き始めたそうですが、その経緯や、「絵を描く」という選択をされた理由を教えてください。また、実際に描き続けている中で、今どのような想いを抱いていらっしゃいますか?

「突然死のリスクが高い病気だと知った時、怖さより先に“自分がいなくなったら存在ごと消えてしまうのかな”という寂しさが込み上げました。そこから“生きた証を残したい”と思うようになったんです。もともと絵を描くことが好きで、自分の想いを形にできる“絵”こそが私らしいと感じて描き始めました。絵を通して誰かの心に少しでも温かいものが届けば、それが一番の喜びです」

――心臓病をひとつの“個性”として捉えられ、前向きに生きられている様子が見られますが、その考えに至るまでに、何かきっかけや転機はあったのでしょうか?

「もともとは人見知りで引っ込み思案で、自分から発信するなんて考えたこともありませんでした。でも病気になり、“どうせ死ぬなら思いっきり楽しもう”と決めた瞬間から、少しずつ前向きに変わっていきました。人との出会いや日常の中にある“生きている実感”がどれほど尊いものなのか、初めて気づいたんです。病気は苦しいけれど、それ以上に“生き方”や“つながり”の大切さを教えてくれました。今は、この病気を“自分だけの個性”として受け入れています」

■後悔のない生き方へと導いた突然の心臓病は「間違いなく自分を大きく変えてくれた」

――「#沖縄の心臓病」と名乗られていますが、沖縄での生活や文化、周囲の環境が、ご自身の考え方や生き方に影響を与えていると感じる面はありますか?

「沖縄という場所の影響もとても大きいです。沖縄は人とのつながりが深く、友達の友達が家族のようになれる“いちゃりばちょーでー(出会えばみな兄弟)”の精神があります。そんな温かい文化の中で【沖縄の心臓病 / RYU】として発信することで、多くの方に支えられ、応援してもらえるようになりました。そのつながりこそが、今の私を強くしてくれていると感じています」

――病気を発症される前と現在とで、考え方や感じ方に特に変化はありましたか?

「正直、病気になる前の人生は本当に苦しく、家庭環境もうまくいかず、何をしても空回りしていました。“不幸”や“退屈”を言い訳に愚痴ばかりで、『もう生きていたくない』と思う日もありました。今思えば、あの頃の自分は“ただ生きていた”だけで、“生きていなかった”のかもしれません。そんな自分を変えてくれたのがこの病気でした。『もっと自由に、あなたらしく生きていいんだよ』と教えてくれたようで、閉じていた心が少しずつ解き放たれていったんです。

 もともと行動するタイプではなく、成功も失敗も知らないまま大人になり、理解されない苦しさや劣等感の中で生きていました。でも病気をきっかけに“後悔しない生き方をしよう”と決めてから、すべてが変わりました。講演会や音楽ライブ、アパレルブランドの立ち上げなど、とにかく“やってみる”ことに素直になれたんです。もちろん失敗もありましたが、その一つひとつが自分を成長させ、“小さな幸せ”を見つけられるようになりました。今は何があっても前を向けます。病気は、間違いなく私の人生を大きく変えてくれた存在です」

――病院での生活や医療スタッフとの関わり、ご家族や友人など周囲の方々からの言葉やサポートの中で、特に印象に残っていることや元気をもらえたエピソードがあれば教えてください。

「【沖縄の心臓病 / RYU】としてSNSで発信を続ける中で、本当にたくさんの応援の言葉をいただきます。その中でも一番嬉しいのは、『あなたの投稿を見て元気をもらえた』と言ってもらえることです。同じように入院している方や病気と向き合っている方が笑顔になる瞬間ほど嬉しいことはありません。そういう言葉をもらうたび、『自分の発信には意味があるんだ』と感じ、自分自身も前向きになれます。病気は一人で乗り越えるものではなく、支え合うもの。だからこそ、これからも“みんなで笑って生きる”という気持ちを大切にしていきたいです」

――今後やってみたいこと、挑戦してみたいことはありますか?

「たくさんあります。まずはこれまで描いてきた絵で個展を開いたり、作品を使ったグッズを制作したりしたいです。将来的には講演会や支援活動を通して、同じように病気と向き合う人や、生きづらさを感じている人の力になれる活動もしていきたいと思っています。それから、もし心臓移植が無事にできたら、全力で逆立ちしながら歩きたいですね(笑)。その瞬間を全身で喜びたいです」

――同じような病気と向き合い治療を続けている方々、そしてご自身にかけたい言葉があれば、それぞれ教えてください。

「病気は本当に理不尽で、私たちを苦しめます。『なんで自分だけ?』と泣きたくなることもあるでしょう。でも、どんなに辛くても、病気にはきっと意味があると思っています。命の尊さに気づかせてくれたり、人の優しさや温もりに触れさせてくれたり、人生の大切なことに気づくチャンスかもしれません。だから、あなたが今ここにいるだけで十分に価値があります。弱音を吐いても、逃げたくなることがあってもいい。それでも心だけは貧しくせず、自分を信じてください。もし心が折れそうな時は、どんな姿になっても、私があなたを笑わせます。一緒に必ず乗り越えていきましょう。自分自身には、モットーの『真面目に不真面目』を心掛けています。全力で生き、人の役に立ち、喜びを分かち合いながら生き続ける。それが私の道であり、どんな困難も超えていく力になるのです」

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