
日本女子長距離界のトップランナー、細田あい(30、エディオン)が1月8日、SNSで現役引退を発表した。2024年9月のベルリンマラソンでは2時間20分31秒の自己ベストで当時日本歴代7位のタイムをマーク。去年9月のシドニーマラソンでは、ロサンゼルス五輪最終選考会マラソングランドチャンピオンシップ(MGC27年10月3日)への切符を1番最初に獲得し、さらなる高みを目指すと思われていた中での決断だった。地球2周分以上を走り抜いてきた細田が、陸上人生と心の奥底に秘めていた変化を語った。
決して揺らぐ事のない引退の理由
引退の二文字が頭をよぎったのは実業団に入ってからこれまでも何度かあったという。だが、恩師たちからの「まだ走っている姿を見たい」という言葉に力をもらい競技を続け、トラックやマラソンで自己ベストを更新してきた。
細田:「パリ五輪の年で辞めよう」と東京五輪が終わった時点で考えていたんですけど、パリ五輪に臨む年はケガがものすごく多くて、万全な準備をしてレースに出たことが無かったので、その年に引退するのは自分の中で納得がいかなかったんです。翌年に東京世界陸上があったので、怪我なく自分がやれること全てやりきって、万全な準備をして臨んだ時にどう感じるかを知る1年にしようと思いました。選考試合の東京マラソン(25年3月)が終わって代表になれなくて、結果も全然良くなかったんですけど、自分の中で清々しいというか。結果が悪いはずなのに悔しいという感情がなくて「どうしてなんだろう」と向き合いました。目標を達成したいという熱意ではなく、自分の走りや結果で周りの人が喜んでいる姿を見て、頑張りたいみたいな。その原動力は悪いことではないけど、自分がこうなりたい、という目標や感情がそこに入ってきてないから悔しい感情がなかったんだなと。その中できつい練習をしていくのは苦しいなとすごく感じました。パリ五輪の年で終わろうと思っていたのを2年自分と向き合い続けて、最終的に25年の4月に決断をしました。1年はモチベーションも難しい中でしたが、引退に向けての1年にしていたので。
記者:自分で考えて決めたのか、それともご両親に相談したりしたんですか?
細田:両親にも相談しましたが最後は「自分で決めな」と言われました。自分で決めないと後悔が残ると思ったし、周りに伝えた時に自分の意思が揺らいだら、、それぐらいの気持ちだと思うんです。揺らがなかったので、自分の意思は固いんだろうなと思いました。
実業団ランナーとしての喜びと7秒差で逃した日本代表
2018年に日本体育大学を卒業後ダイハツに入部した細田。21年の2月からはエディオンに移籍すると去年11月のクイーンズ駅伝ではチームの悲願である初優勝に貢献。細田は5区で2年連続区間賞を獲得し、同大会でのMVPに輝いた。
細田:去年に関しては、クイーンズ駅伝を1番大きな目標として掲げていたところで、優勝できたことは素直に嬉しかったというのがありました。
記者:若いメンバーもいる中での優勝でしたけど、後輩たちへの思いは?
細田:エディオンというチームは自分の目標もあったりするんですけど、相手を思いやれるすごくいい子たちだし、練習になったら切り替えて集中力が高い子たちが多いので、チームとしても本当にいいチームだと思う。自分が抜けても、心配いらないというか(笑)どんどん強い子たちが、出てくると思います。去年優勝して、プレッシャーやいろんなものを感じることもある1年になるかもしれないんですけど、そういうことも含めて成長できると思うので、見守りたいなと思います。みんな本当にすごいです。(東京陸世界陸上)代表になった矢田みくにだったり、今すごく力をつけている水本(佳菜)だったり、その2人が中心でこのチームを支えていっている。平岡(美帆)とかは元々集中力がすごく高い子なんですけど、駅伝前は特に集中力が高くてチームを引っ張っていくような姿もあったので、また頭角現してくるだろうなっていうのは勝手に思っています。それぞれみんないいところもあるので、そこをどんどん磨いていければ、絶対伸びるなというのはある。そこに気づいて、進めていければ伸びる選手はたくさんいるんだろうというのは思っています。
記者:細田あいの人生を振り返った時、最後に思い返すのは?
細田:悔しかったことはたくさんありますね(笑)。MGC(23年10月パリ五輪選考会)の年は怪我をしていて、本当に急ピッチで、もう1か月ぐらいで仕上げてのレースだったので、無事にスタートしてゴールできれば文句ないというか、それぐらいの状態ではあった。想像以上に結果は良かった(7秒差の3位)。思ったよりはいけたけど、あと数秒だったとかそういうのを考えると、悔しい経験だったかなというのは感じますね。
MGCで2位以内となればパリ五輪代表内定となり、日の丸を背負い走る夢が叶ったかもしれなかったが、わずかに7秒届かなかった。それでもパリ五輪の補欠メンバーとして走る準備をしてきた事が24年9月のベルリンマラソンでの自己ベストに繋がった。
細田:元々メンタルもそんなに強いタイプではなく、どんどんネガティブになっていく方ではあるので、チームメイトだったり家族、友達などいろんな人に助けてもらって、前を向かせてもらってました。自分だけでは、苦しい時期を絶対に乗り越えられなかったと思うので、支えてくれた人たちのおかげだと思っています。
地球3周分に迫る練習量を走り抜いてきて
月間1000km以上の距離を走ることもある過酷な競技生活。これまで地球2周分を優に超え、3周に迫る距離を走り抜いてきた。その事実を改めて知ると細田は笑顔を見せ、これまでの道のりを語った。
小学生の頃からリレーメンバーに選ばれ、勝ちたい、1番を獲りたいという純粋な思いから始めた長距離。長野県茅野市にある細田の実家は標高900m程のところにあり、平坦な道がほとんどないという。子どもの頃走っていたコースには標高1200mの地点もあったそうだ。
憧れはシドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さん。23年MGC出場選手発表会見の際にはその憧れの人から「高いレベルで安定して走れるのが武器。スピードもあってすごく楽しみ」と評価を受けた細田。レース時の緊張について質問した際は、「自分がしてきた事以上の事を求めないようにしようと。いつもの8割ぐらいで勝てる練習を日頃の練習で意識して、調整が間に合わなかったとしても私は勝てるんだぐらいの気持ちでいれば、当日すごく楽な気持ちでいられます」とアドバイスを受けた。
細田:オリンピックで金メダル獲っている姿を見て、すごく印象的でかっこいいなって思っていて。高校時代は1年の3分の2ぐらいはずっと怪我をしていて、夜とかに本を読みながらバイクを漕いでいたんですよ(高橋尚子さんの恩師、小出義雄さんの著書)『君ならできる』(幻冬舎)という本だったんですけど、読んでいけば読んでいくほど「すごい」と思っちゃって、これぐらい突き詰めなきゃというか。自分ができるのかなみたいな部分もあったし、怪我がすごく多かったので、すごく遠いと思っていて。(当時の高校の)先生に「自分で無理って諦めたらそこで終わりだから。やろうと思ってやらないと夢には近づかないよ」と言ってもらったので、そういうきっかけもありましたし。本当にみんなが憧れる方とお話ができたりする機会もあって、嬉しかったというのは素直なところです。
東京で迎える細田あいのラストランと新たな人生
記者:本当に3月の東京マラソンで最後ですか?
細田:東京で最後です!自分の中でただ走るだけで終わりたくない。しっかり自分の力を出しきって、やっとやりきった、終わったと思えると思うので、自分のベストを尽くすというか、最後まできつい練習とかを乗り越えていい状態でスタートラインに立って、本当に…そうですね。いい結果というか、自分が悔いなく納得する形で終わりたいと思っています。(去年)12月あたりがちょっと走り込めていない部分もあるのでジョグでしっかり体を作りながら、ベース作りながらも質を上げていくので、結構ハードにはなるだろうなというのは思ってはいるんですけど、本当に最後なのでやれるかなと。やり切ります。
記者:マラソンでフィニッシュした瞬間からまた新しい細田あいが始まると思うんですけど、今後どうされるんですか?
細田:まだ正直決められてない部分もあるんですけど今のところエディオンにそのまま籍を残す予定で。その後に関しては会社と調整中なんですけど、陸上に何かしらの形で関われればと思っています。
インタビューの最後、これまでの陸上人生を思い返した細田が目に涙を浮かべながら自身の好きな言葉を教えてくれた。
細田:「七転び八起き」っていう言葉が好きで。似た言葉で七転八倒とかもあるんですけど「七転び八起き」は何回失敗しても立ち上がってという。その言葉がすごく好きで、失敗とかいろんな苦しい事とかがあっても、また起き上がって、頑張って、また転んでみたいな。その言葉は自分に合っているかなと。
「七転び八起き」それはまさにランナー・細田あいを象徴する言葉だ。取材を終え「本当に終わりですか?来年MGC走っていたりしないですよね?」と聞いてみると「走らないです(笑)もう本当に終わりです!」と言い切り、最後は「美味しいご飯食べてくださいね」と笑顔で見送ってくれた細田。3月1日のラストラン、そして新たな人生のスタートとなる東京マラソンでの走りは、きっと多くの人々の心に刻まれるはずだ。
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