
元東映宣伝部で映画の名コピーの数々を生み出した、惹句師および映画ライターの関根忠郎さんが、間質性肺炎のため、死去したことが、東映から公表されました。
87歳でした。
東映によりますと、関根忠郎さんは、 2025 年 11 月 11 日午後0時 30 分に、東京都内病院にて死去。なお、葬儀は家族葬として、既に執り行われたということです。
惹句師・映画ライターの関根忠郎(せきね ただお )さんは、1937 年 12 月 25 日、東京生まれ。
1956 年、東映株式会社入社。
東京撮影所などを経て 1962 年本社宣伝部に異動し、その後 1997 年、映画宣伝部長付チーフ宣伝プロデューサーとして東映を定年退職するまで、東映作品の殆どのコピー(惹句 じゃっく)制作を担いました。
そのジャンルは幅広く、やくざ映画、実録映画、時代劇、アクション映画、ヒューマンドラマやポルノ映画までを網羅。
東映退職後は惹句師のみならず、フリーランスの映画ライターとしても精力的に活動しました。
また、東映株式会社 多田憲之 代表取締役会長から追悼のコメントが発表されています。
【 東映株式会社 多田憲之 代表取締役会長 コメント 】
映画の内容を一言で語ってくれる惹句、成績を左右させる惹句、そんな伝説の惹句師の関根さん。
もっともっと仕事をして欲しかった。
ポスターに躍る関根さんの惹句は東映在籍時も他社から依頼があった程、皆に愛された。
移転前の 7 月、銀座の本社にふらりと訪ねてくれたのが最後だった。
心よりお悔やみ申し上げます。
東映株式会社 代表取締役会長 多田憲之
【 関根忠郎さん 主な担当作品 】
◆『昭和残俠伝 破れ傘』(1972)
「旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」
◆『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)
「つろうござんす浮世のしがらみ 純子は何んにも言いません 文太も何んにも言えません こゝで別れりゃ二度とは会えぬ 熱いものがこみあげる だが美しい―――無言で見せて無言で演じたラブシーン」
◆『仁義なき戦い』(1973)
「暗殺、裏切り、報復・・・・・残虐な死闘の日々の中で怒り、苦悩する男たち! 殺しが殺しを呼ぶ非情なやくざ社会の内幕を暴いた「美能組」元組長 美能幸三の手記『広島やくざ・流血20年の記録』をこゝに映画化!」
◆『トラック野郎 御意見無用』(1975)
「腕っぷし、気っぷがドンと気に入った!スピード・バクチ・酒・喧嘩 車体飾り(デコレーション)も No.1 だから通称一番星〈菅原文太〉 女にモテたいばっかりに相棒ジョナサン七人子持ちがなぜやもめ〈愛川欽也〉 にっぽん列島 男の意地と汗・ほこり ハードに行くぜ痛快豪放トラック野郎」
◆『柳生一族の陰謀』(1978)
「我(わし)につくも 敵にまわるも 心して決めい! 親も子も仏もない凄絶な権力争い! 超豪華スターと巨大スケールで蘇る本格的時代劇ロマンの面白さ!」
◆『鬼龍院花子の生涯』(1980)
「愛に染まれば 女は狂女」
◆『極道の妻たち』(1986)
「愛した男が、極道だった。 日本を一分する暴力抗争——男たちの銃後(かげ)で、妻たちはどう生きているか!?」
◆『ヒート』(1995)
「叫ぶか、黙るか。二人は出会った。いま高鳴る銃撃のシンフォニー!」
◆『あなたへ』(2012)
「大切な想い 大切な人に 届いていますか――」
◆『ブラック・スキャンダル』(2015)
「信じられない真実――。アメリカは正義を見失っていた。」
著書
『惹句術 映画のこころ』(山田宏一・山根貞男との共著)
『関根忠郎の映画惹句術』
関根忠郎さん「写真:シネマトゥデイ/
【担当:芸能情報ステーション】
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