
今年、日本で相次いだ、偽の作品が美術館に展示されていたという“贋作騒動”。長年、“名画”として展示されてきた作品がある日…突然、ニセモノとなった。この騒動を引き起こしたのは、ドイツ人画家のヴォルフガング・ベルトラッキ氏。被害総額は全世界で90億円とも言われる「稀代の贋作師」だ。彼はなぜ“偽りの芸術”を生み出したのか。その真実に迫る。
被害総額90億円超か 世界を揺るがす“稀代の贋作師”
絵画が並ぶ部屋の一角に、不自然な空白ができていた。
高知県立美術館 学芸課長 奥野克仁さん
「(作品は)この辺にありました。人の名前を語っているわけですから、ありえないことですね。人を騙すというのは、卑劣ですよね」
高知県立美術館が税金1800万円を投じて購入したのは、ドイツの画家ハインリヒ・カンペンドンクの作品として描かれた「少女と白鳥」。
30年近く美術ファンの目を惹きつけてきた名画が、2025年に贋作だと判断されたのだ。
美術館 利用者
「その人の絵を見に来てるので、やっぱりちょっと、それは残念」
被害は徳島県立近代美術館でも。ジャン・メッツァンジェの絵画「自転車乗り」が偽物だと気づかず、6720万円の税金が投じられた。※現在は展示および所有はしていません
徳島県立近代美術館 上席学芸員 竹内利夫さん
「贋作だったっていうことで、申し訳ないという思いはお伝えしたい」
さらに、岡山県の企業が所有する絵画にも“贋作疑惑”が持ち上がった。この贋作騒動は、世界を揺るがしている。これらは、たった1人によって書かれたものだった。
ドイツの画家、ヴォルフガング・ベルトラッキ。ベルリン警察の捜査で浮上した贋作は、約100点、被害総額は90億円を超える「希代の贋作師」と呼ばれている人物だ。
「私は決して“模写”はしない」ベルトラッキ氏に直撃 贋作制作の手口
私達は交渉すること7ヶ月、ベルトラッキ氏から会って取材に応じるとの連絡があった。金か名誉か。彼は何のために贋作を書いたのか。
私達が向かったのはスイス。ベルトラッキ氏は山々に囲まれた湖畔の街に暮らしていた。中世の建築と芸術が静かに息づく街だった。自らのアトリエで私達を出迎えたのは、ベルトラッキ氏本人だった。
「今、贋作は描いていない。全てオリジナルの作品」だと彼は言う。
ヴォルフガング・ベルトラッキ氏
「これは、自分のために描いたんだ」
ベルトラッキ氏は30年以上にわたり、300点を超える贋作を描いたと話す。
――いままで何人くらいの画家を描いた?
ベルトラッキ氏
「120人くらいは描いたよ。私ほどあらゆる時代の画家を描いた人間はいないだろう。そんなことは不可能だからね。私はそれに魅力を感じるんだ。でなければ私の人生はつまらない」
実はベルトラッキ氏は2010年、詐欺容疑で逮捕され、2011年、裁判で懲役6年の有罪となった。
オークションに出品された作品から、描かれたとされる年代には流通していない絵の具が検出されたのがきっかけだった。ベルトラッキ氏の贋作は、全ての所在がわかっているわけではない。今も「本物」として世界を漂流している。
――これはあなたの描いた作品ですか?
ベルトラッキ氏
「ああ、もちろんそうだよ。これも私が描いたものだよ。日本には他にも私の作品があると思うよ、間違いなくね」
高知県立美術館が購入した「少女と白鳥」。ベルトラッキ氏は、ハインリヒ・カンペンドンクと偽り描いたと認めた。
では、どんな手口を使ったのか。
ベルトラッキ氏
「あった、見つけた。これが作品総目録だよ」
「作品名『少女と白鳥』、1919年の油絵、『サイズ』『署名』『所在』は不明」
ハインリヒ・カンペンドンクが活躍したのは20世紀前半。戦争の混乱で、いくつかの作品は行方がわかっていない。彼はそこに目をつけたのだ。
ベルトラッキ氏
「贋作を描くには、2つのことが大事なんだ。1つ『作品が残っていないこと』、2つ『絵の写真が存在しないこと』。作品史の“空白”を見つけるんだ。私は決して“模写”はしない」
ベルトラッキ氏が狙ったのは、画家の作品リストにおける空白だった。書かれた事実はあるものの、まだ見つかっていない作品を探し、その画家になりきって描く。そして、あたかも“新たに見つかった作品”として、人々を欺いてきたのだ。
ベルトラッキ氏
「これは古典的なモダニズムのための色だよ。銀色の蓋がついているだろ。一部はフランス製、一部はドイツ製だ」
生産地や製造時期が違う絵の具の山。ベルトラッキ氏は贋作を書く際、作品が発表された時期の絵の具を探したと話す。
さらに、今では手に入らない絵の具は、顔料から作る徹底ぶりだった。
ベルトラッキ氏
「これはフェルメールの黄色だ。鉛白とも呼ばれ、鉛から作られているんだ。とても美しい顔料だ。贋作を描くには知識が必要なんだ」
夫婦で共謀した贋作「日本に多くの作品を売っていた」
贋作を本物と信じ込ませ、販売するのに欠かせなかったのが、妻のヘレーネ・ベルトラッキ氏の存在だ。祖父が未発見の貴重な絵画を持っていたと架空の設定をでっち上げた上、自らも祖母に変装した写真を捏造したと話す。
ヘレーネ・ベルトラッキ氏
「もちろん、悪いことだとわかっていたわ。ただ、それが信じられないほどエキサイティングで刺激的だった。(贋作を)専門家に持っていくと、『素晴らしい作品です。私の研究する本物の絵だ』って。実際には“偽物”なのに」
夫婦で共謀した贋作は、名高いオークション会社や鑑定のプロも欺き、日本でも販売されたという。
ベルトラッキ氏
「パリの人は80年代の終わりに、日本に多くの作品を売っていたんだ。私の作品は、オークションハウスやギャラリーから日本の画商や美術館に販売されたよ」
海外から多くの絵画を買い集めた、バブル期の日本。美術館も全国に次々と誕生した。高知県立美術館もその一つだった。
当時の映像(1993年)
「土佐漆喰の黒い壁、蔵を想像させるこちらの建物が県立美術館です」
県内初の本格的な美術館として、華々しくオープン。絵画の収集に奔走する、そんなときだった。
高知県立美術館 学芸課長 奥野さん
「名古屋の画商が、オークションで落としたということです。それをうちにオファーしてきたと」
1996年、「少女と白鳥」を1800万円で購入。カンペンドンクの市場価値を考えると、破格の値段だった。
高知県立美術館 学芸課長 奥野さん
「カンペンドンクの知られざる作品が手に入ったということで、これはもう大変素晴らしいことだと。(出品された)クリスティーズは世界有数のオークションハウスですし、学者の方が、“この作品は本物です”とお墨付きをあたえていると」
「謝罪はしない」なぜならば…
――被害者の方へ謝罪はしないのか?
ベルトラッキ氏
「しないね。だって最高の絵画を持っているから。被害を受けたとお思うなら、申し訳ない。ただ、最高の作品なのは間違いないんだ」
ベルトラッキ氏が偽ったと話す。著名な画家は120人。その中には…
ベルトラッキ氏
「フジタもその1人だった」
藤田嗣治、20世紀初頭に単身パリに渡り活躍した日本人画家だ。
ベルトラッキ氏
「私は作品をよく観察し、何度も見たんだ」
藤田との知られざる関係。ベルトラッキ氏は藤田を追っていた――
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