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テレビドラマづくりに挑み続けた脚本家・倉本聰さん 多臓器不全のため91歳で死去 「北の国から」さだまさしさん・吉岡秀隆さんが悼む

国内
2026-09-28 22:26

ドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰さんが、北海道・富良野市内の自宅で亡くなったことが分かりました。91歳でした。


脚本家・倉本聰さん(91)が死去 さだまさしさん「大恩人でした」

倉本聰さん(当時66歳 2001年1月放送「はなまるマーケット」)
「ものすごい時は(原稿用紙)20枚くらいあっという間に書いてますね。その代わり手は動かなくなる。僕ワープロとか一切使わないから」


数々のテレビドラマや映画を手がけた脚本家の倉本聰さん。9月18日の夕方、多臓器不全のため自宅で亡くなりました。91歳でした。


倉本さんは、東京大学・文学部を卒業後、ニッポン放送に入社。その後、独立し、1977年に北海道・富良野市に移住しました。


その北の大地を舞台に、父親と2人の子どもが逞しく生きる姿を描いた代表作「北の国から」は大きな感動を呼びました。


「北の国から」の主題歌を担当した、さだまさしさんはSNSで…


さだまさしさん
「歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした」


また、作中で黒板純役を務めた俳優の吉岡秀隆さんは、感謝の思いを伝えました。


吉岡秀隆さん
「倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します」


「茶の間の中を覗いて『失礼いたします』と静かに」ドラマ作りの精神

2018年には、80歳を過ぎてなお、テレビドラマづくりに挑み続ける姿勢がたたえられた倉本さん。その精神について、このように述べていました。


倉本聰さん(当時83歳 2018年5月 ギャラクシー賞贈賞式)
「先輩たちに言われたのは、テレビは各家の茶の間に入っていくものだ。大声を立てるな。静かにのれんをめくって、茶の間の中を覗いて『失礼いたします』と静かに入りなさいと。その教えを守ってやってきたつもりです」


倉本さんの葬儀は、すでに近親者のみで執り行われたということです。


11月3日には、富良野演劇工場にてお別れの会が予定されています。


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情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

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