
病気・依存症・自殺・犯罪・・・これらの背景には子ども期の逆境体験(ACE)が存在することがある。「人生初期の不利は、その後の人生に長く影響しうる」という厳然たる事実に向き合い、逆境をくぐり抜けた人にも暮らしやすい社会を作るためにはどうすればよいか。大阪大学大学院人間科学研究科の三谷はるよ准教授による論考。
【データを画像で見る】成人後も悪影響を及ぼす子ども期の逆境体験(ACE)
「ACE」とは何か――子ども期の逆境が人生に与える影響
近年、「ACE(エース)」という言葉が、日本でも少しずつ知られるようになってきた。
ACEとは「Adverse Childhood Experiences」の略で、「子ども期の逆境体験」あるいは「逆境的小児期体験」と訳される。18歳までの間に経験する、虐待やネグレクト、親の離婚、家族の精神疾患・自殺未遂、家族のアルコール・薬物乱用、家庭内暴力への暴露など、強いストレスやトラウマを受けるような体験を指す(表)。
この概念が世界的に注目されるきっかけとなったのは、1990年代後半にアメリカで行われた大規模調査「ACE Study」だった。そこでは、ACEの数が多い人ほど、成人期に心疾患、糖尿病、うつ病、自殺未遂、依存症など、さまざまな健康問題を抱えやすいことが示された。
さらにその後の多くの研究によって、ACEの影響は健康だけにとどまらないことも明らかになってきた。学業不振、失業、貧困、孤立、さらには犯罪被害・加害との関連も、各国で繰り返し報告されている。
日本においても、その影響は深刻だ。筆者らが行ってきた成人対象の全国調査では、ACEが1種類以上ある人は約4割を占めることがわかっている。そしてACEスコアが「4」以上の人は「0」の人と比べて、脳卒中に5.8倍、がんに3.9倍、狭心症・心筋梗塞に3.6倍、うつ病に7.9倍なりやすいとの結果を得ている(図1)。
社会経済面でも、「中学校が最終学歴」に2.9倍、失業に1.8倍、貧困に1.7倍なりやすい傾向もみられた(図2)。
筆者はこれまで、『ACEサバイバー――子ども期の逆境に苦しむ人々』(筑摩書房、2023年)を上梓し、講演や記事執筆を通じて、こうした研究知見を社会に伝えてきた。だが今なお、「子ども期の逆境が、その後の人生に長く影響を及ぼす」という事実は、十分に共有されているとは言い難い。
努力だけでは消せないACEの爪痕
近年の脳科学や発達研究では、慢性的なストレス環境が子どもの脳や身体の発達に影響を与えることが分かっている。常に緊張状態に置かれた子どもは、「危険を察知し、生き延びること」に適応していく。その結果、感情調整や対人関係、社会生活に困難を抱えやすくなる場合がある。
喫煙や飲酒に頼る。他人との接触を避ける。「死にたい」と思い続ける――。一見すると「問題行動」や「弱さ」のように見えるこうした行為も、本人が苦しみの中で身につけてきた「生きるための戦略」だったともいえる。
つまり、「生きづらさ」は、本人の生まれ持った特性や性格、努力不足で説明できるものではない。
もちろん、ACEを経験した人すべてが困難を抱えるわけではない。逆境の中でも支えてくれる大人との出会いや、安心できる家庭以外の居場所があることで、その影響が和らぐこともある。しかし、そのような支えに恵まれる人ばかりではない。
にもかかわらず、日本社会には今なお、「18歳を過ぎたら自己責任」という空気が根強く残っている。依存症であれば「意志の弱さ」、失業や貧困は「努力不足」、対人関係の困難は「コミュニケーション能力の問題」と見なされやすい。
だが、本当にそうなのだろうか。
ACE研究が示しているのは、「人生初期の不利は、その後の人生に長く影響しうる」という厳然たる事実である。そして、その影響は、本人の努力だけで簡単に乗り越えられるものではない。努力するエネルギーすら奪われていたり、努力する術を学べなかったことも多い。
私たちが目にしている「生きづらさ」の中には、本人の意思や努力だけではどうにもならなかった幼少期の経験が、静かに横たわっていることがあるのである。
助けを求めた先で、さらに傷つく人たち
筆者はこれまで、統計調査だけでなく、ACEサバイバー当事者への聞き取り調査も行ってきた。そこで見えてきたのは、過去の逆境だけではなく、その後の社会のまなざしによって、さらに傷つけられている人々の存在だった。
ある人は、「心療内科で成育歴を話そうとしたら、鼻で笑われた」と語った。別の人は、「小学校の担任に親の暴力を訴えたのに、まったく取り合ってもらえなかった」と話した。
当事者支援を行う一般社団法人の調査によれば、支援や相談を求めた経験のあるACEサバイバーの約3人に2人が、何らかの「二次被害」を経験していたという(出所:ACEサバイバー二次被害実態調査アンケート)。
たとえば、「被害内容を軽視された」「話を信じてもらえなかった」「あなたに責任があると示唆された」「加害者のほうを擁護した」といった経験である。しかも、それは本来、安心して相談できるはずの医療、福祉、行政、教育の現場で起きる割合が高かったという。
ACEサバイバーの中には、「誰にも頼れない」と感じながら生きてきた人も少なくない。勇気を出して相談した先で再び否定されることは、「やはり自分は助けを求めてはいけない存在なのだ」という無力感や自己否定感、そして社会不信を深めうる。
私たちは、「なぜ相談しないのか」と問う前に、「相談した結果、さらに傷つく社会になっていないか」を問わなければならない。
「責任を問うこと」と「背景を理解すること」は両立する
もちろん、ACEを理由に、すべての行為が免責されるわけではない。
病気や依存症については、最終的に本人が治療や健全な生活を維持していくことを求められる。また、犯罪を犯した場合には、どれほど過酷な成育歴があったとしても、司法の場では責任が問われる。
たとえば、記憶に新しい山上徹也被告の事件では、多くの人が、その成育歴の過酷さに衝撃を受けた。宗教二世問題は広く議論された一方で、司法の場では、当然ながら重大犯罪の被告としての個人責任が問われている。
しかし、「責任を問うこと」と、「なぜその人がそこに至ったのか」を理解しようとすることは、本来、矛盾しないはずだ。
私たちはしばしば、「背景を理解すること」を、「加害を正当化すること」と混同してしまう。だが、背景を理解しようとすることは、同じような苦しみを次世代に繰り返さないために必要な視点でもある。
「閉じた家庭」をどう防ぐか
ACE問題を考えるとき、近年、筆者が強く感じているのは、「家庭を開く」という視点の重要性である。
虐待やネグレクト、家庭内暴力の多くは、「閉じられた空間」の中で深刻化する。外から見えず、他者が介入できず、「家庭のことだから」と扱われることで、問題が長期化してしまうのである。
日本社会では長らく、「家庭は私的領域であり、外部が踏み込みすぎるべきではない」という感覚が強かった。この公私の分離こそが、「近代家族」(近代社会に適合した、夫婦とその子どもから成る情緒的結びつきの強い核家族)の主要な特徴でもある。
もちろん、家庭のプライバシーは大切である。しかしその一方で、「家庭の中で起きていることを外から見えなくすること」が、子どもの孤立や人権侵害につながってきた面も否定できない。実際、ACEサバイバーの語りには、「誰にも気づいてもらえなかった」「家の外では“普通の家庭”に見えていた」という言葉が少なくない。
だからこそ、家庭を孤立させない社会の仕組みが必要なのだ。
たとえば、学校、保育、地域、医療、福祉など、多様な大人との接点を子どもや保護者が努力せずとももてるようにすること。親だけにケア責任を集中させず、「子育ては社会全体で支えるもの」という考えを制度面で保障すること。
それは、家庭を監視する社会をつくることではない。むしろ、「家庭だけで抱え込まなくてよい社会」をつくるということである。
たとえば、フランスのエデュケーター(家庭教育支援)は、家庭の中で問題が起こる前から国家資格をもった専門職が家庭の中に入り込み、家族にとっての頼れる第三者を目指す取り組みとして参考になろう。すでに日本の学校で配置されているスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーができることも、まだまだあるはずだ。
ACEサバイバーが生きやすい社会へ/ACEを予防する社会へ
近年、子ども政策は前進している。こども家庭庁の設置、児童手当の拡充、幼児教育や高校授業料の無償化など、子育て支援は確実に広がってきた。
しかしその一方で、18歳を超えた瞬間から、人々の苦しみが「個人の問題」として切り離されてはいないだろうか。病気、依存症、失業、貧困、孤立――。それらを抱える大人に対して、私たちは「本人の問題」として接しすぎていないだろうか。
ACEサバイバーに対して、少なくとも支援の現場では、「自己責任論」によってさらに傷つけない関わりが必要である。近年では、こうした考えを「トラウマ・インフォームド・ケア(TIC)」と呼ぶ。相手の行動の背景にあるトラウマを理解し、その人を再び傷つけない支援を行うという考え方だ。とくに支援者養成の場で、ACEやTICについて学ぶ機会を広げていく必要があるだろう。
同時に、そもそもACEが生じにくい社会をつくることも諦めたくない。
ACEが生じる背景には、養育者側の孤立や困窮も深く関係している。経済的不安定、長時間労働、ジェンダー不平等、ケア責任の偏り――そうした社会構造のひずみが、養育者自身のストレスとなり、ACEの土壌を生んでいる。
次世代を育むことを選んだ人が、「子育て罰」を受けるような社会であってはならない。
親も、支援者も、そして子ども自身も、少し余裕をもって生きられること。親も、支援者も、心身に無理のない働き方ができ、安定した生活基盤を得られること。そして、ほどよく「開かれた家庭」の中で、誰かとつながりながら子どもを育てられること。必要な支援やサービスを、自助努力に頼ることなく受け取れること。
こうした一つひとつの取り組みは、理想論に聞こえるかもしれない。しかし、ACEはある日突然なくなるものではない。だからこそ、社会の側が少しずつ変わり、家庭の孤立を防ぎ、人と人とのつながりを支えていくほかないのである。
ACEを知るとは、「かわいそうな子どもの話」を知ることではない。
人々の生きづらさを、個人の弱みや失敗としてではなく、その背後にある家庭の孤立や社会のひずみの中で捉え直すことである。そのまなざしを持つことから、ACEサバイバーが生きやすく、ACEが生まれにくい社会への歩みが始まるのではないだろうか。
<執筆者略歴>
三谷はるよ(みたに・はるよ)
2009年大阪大学人間科学部卒業。2014年大阪大学大学院人間科学研究科 博士後期課程修了。博士(人間科学)。
専門は家族社会学・福祉社会学。日本における子ども期の逆境体験(ACE)に関する実証研究を進めている。
著書に「ACEサバイバー――子ども期の逆境に苦しむ人々」(2023・筑摩書房)など。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。
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