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無数の脳損傷から奇跡の“リブート” 「一生意識が戻らない可能性」を覆し歩行も可能にした男性「大変なのは、いつも“今”」

国内
2026-03-17 11:40
無数の脳損傷から奇跡の“リブート” 「一生意識が戻らない可能性」を覆し歩行も可能にした男性「大変なのは、いつも“今”」
意識不明の昏睡状態から7年後のToshikiさん/@toshiki_rehabilitation さん
 地上13mからの落下による意識不明の重体から7年。一部の記憶を失い、無数の脳損傷、身体の麻痺、高次脳機能障害…絶望的な状況から、彼は少しずつ自分の体と記憶を取り戻している。そしてついに、歩けるようになったという姿がInstagram動画で話題に。今、世界中が注目するのは、奇跡の回復だけではない。困難を前に諦めず、毎日を積み重ね続ける彼の精神力と、まじめに向き合った日々の軌跡。そんな“奇跡の復活奮闘記”を発信しているToshikiさん(@toshiki_rehabilitation)にお話を聞いた。

【写真】地上13mから転落…意識不明の重体で親族に見守られる昏睡の姿

■意識不明の昏睡状態 何が起きているのか分からず、重くのしかかる現実

――昏睡状態から回復し、“歩けるようになった”ことを伝える動画には世界中から反響が寄せられています。今、その反応をどう受け止めていますか?

「まず、想像以上の反響で正直びっくりしました。見てくださった方には本当に感謝しています。一方で僕の中では、この投稿だけが特別という感覚はあまりなくて、“7年前の自分”と“今の自分”を並べて見せただけなんです。ただ、それ以上に価値があるのは、当事者が自分の言葉で語っているという事実そのものだと思っています。発信を始めて5年、ようやく土台が整ってきた手応えがあって、今は「もっと伝えたい」という想いが強くなっています」

――当時はブレイクダンスの活動に打ち込み、演目の集まりの帰りに事故に遭われたとうかがっています。
 事故の前後の記憶は、今も残っていないのでしょうか。意識が戻り始めた頃の感覚や心境についてお話しできる範囲で教えてください。

「正直に言うと、事故の前後の記憶は今も戻っていません。“理由が分からない”というのは、それだけで人を削るものなんだと痛感しました。意識を取り戻した当初は、「ふざけんな。俺、ただの被害者じゃん」という、どこにもぶつけられない怒りに苛まれていました。何が起きたのか分からないまま、現実だけが重くのしかかってくる感覚でした」

――「一生意識が戻らない可能性」を宣告されていた中で、実際に意識が戻った直後は、どのような状態でしたか?

「意識が戻った直後はまず「体がまったく動かない」「声も出ない」という状態でした。当時の僕は状況を理解できておらず、まるで誘拐されて体を動かなくさせる薬を飲まされたかのように思い込んでいました。その混乱の中で、触れるものを払いのけたり、体に刺さっている医療機器を抜こうとして、何度もベッドを血だらけにしたことがあったそうです」

――ご自身の変化や後遺症にどのように気づきましたか?

「意識が鮮明になるにつれて、「機械は抜かないから、ベッドに拘束しないでほしい」と訴えたくなりました。でも、声にも言葉にもできない。“自分の思いを伝える術がない”という状況は、これまで感じたことのない強いストレスでした。

 麻痺に加えて筋緊張が強く、不随意運動や痙攣もありました。自分の意思とは関係なく体が動いてしまい、思った通りに動かせないことが日常でした。そして時間が経つにつれて、脳機能の問題にも気づいていきました。

 疲労が強く集中が続かず、注意が散りやすく記憶も曖昧になる。段取りが組めなかったり感情を抑えられなかったりと、高次脳機能障害には「自分で不調に気づきにくい」という特徴があります。当時は、何が原因でつらいのか整理できないまま生活とリハビリを続けていました。社会に戻ってからようやく、「身体の不自由」だけでなく「脳の不自由」が生活や仕事に直結することを痛感しました」

■「一番大変なのは、いつも“今”」 失われた記憶と身体の動きを再現し続ける日々

――意思疎通が困難な状況から、周囲の助けで少しずつ記憶を取り戻していった過程について、そのときの心境を教えてください。

「当時は、過去を思い出していく作業そのものが怖かったです。携帯に残っていた写真や動画、LINEの履歴を見返すことが中心でした。そこには自分の知らない“自分の時間”が残っていて、他人の人生をのぞき込んでいるような感覚でした。同時に、「なんで俺が」という悔しさや、現実を直視する怖さ、悲しさも押し寄せました。

 それでも、家族や友人、彼女(現在の妻)が毎日会話をしてくれて、リハビリや自主練を重ねる中で、少しずつ言葉が戻り、感覚がつながっていきました。支えてくれる人がいたから、前を向こうと思えました」

――ここまでの回復の過程で、特に大変だったと感じる時期はありましたか。

「正直、今の僕は「何かを乗り越えた」と満足できる段階にはまだいません。一番大変なのは、いつも“今”です。乗り越えたと思った瞬間に、次の課題が出てきて、しかもそれは前より難しい。だからこそ事故から7年経った今でも、僕はリハビリに熱中できています。

 医者に言われていた限界をとうに越えた今の僕は、「終わった過去」ではなく「更新され続ける今」と向き合っている感覚です。“どこまでいけるか”自分にワクワクしています」

――発信の中で「人間の身体に備わっている力は、思っている以上にすごい」と語られています。ご自身の経験の中で、「人間の生命力」を強く感じた出来事があれば教えてください。

「事故後に運ばれた病院では、「2度と本人は戻って来ない」「意識が戻っても自分1人では生きていけない」とまで言われました。僕の怪我は現代医療で“治してもらえる”ものではなく、回復は自分の身体で、自力で積み上げていくしかありませんでした。その中で「人間の生命力」を一番確信したのは、意識が戻り始め、自分の意思で体幹を保ち、車椅子に座れた瞬間です。

 寝たきりだった身体は、ただ座るだけで全身が震えるほど負荷がかかり、「生きてるってこういうことか」と実感しました。そこから、できなかった動きが少しずつ形になり、再現できるようになっていきました。そうした変化が少しずつ増えていきました。その「再現できることが増えていく」積み重ねそのものが、僕にとっての生命力の証明です」

■「美談にするつもりはない」 この壮絶な体験を、誰かの“次の一歩“につなげる

――「知られにくい不自由」のリアルを発信する背景には、多くの葛藤があったはずです。支えになった言葉や存在、大切にしていた信念は何ですか?

「正直、発信にはずっと葛藤がありました。見た目だけでは伝わらない不自由を言葉にするのは弱さを晒すようで怖く、誤解されることもあります。それでも「知られないまま」になる方が苦しいと思いました。

 支えになったのは、寝たきりだった頃に出会った言葉、amor fati(アモール・ファティ)。「運命を愛する」という意味です。リハビリは、うまくいかないことの連続です。やっとできるようになったことが今日はできず、心が折れそうになる日も。入院中は、主治医から現実を突きつけられる言葉を何度も受け、精神的にも限界でした。それでも僕を支えてくれたのは、この言葉と、そばで現実を支えてくれた家族、友人の存在でした。

 焦って結果だけを追わず、「今を生きる」ことに意識を戻してくれた。僕が大切にしてきた信念は、いつか「人生に無駄なことなんて一つもない」といえる日に辿り着くために、今を無駄にしないことです。未来の自分が、過去の自分に感謝できるように今日を積み重ねる。それが僕の軸です」

――この転落事故による重い損傷と、回復していく過程は、人生の中でも非常に大きな出来事だと思います。事故と回復の経験を、今どのように受け止めていますか。

「僕にとってこの事故は、人生を壊した出来事であると同時に、「生き方を作り直すきっかけ」でもありました。失ったものは数え切れないし、今も不自由は続いています。なので、美談にするつもりはありません。

 それでも、絶望の中で積み上げてきた時間が、僕の人生をもう一度動かしてくれているのも事実です。今はこの経験を、過去として片づけるのではなく、これからの生き方と発信の土台として受け止めています」

――現在も「回復の過程」にあると思いますが、今後の目標があれば教えてください。

「この壮絶な体験を“自分だけ”で終わらせないことです。僕が辿ってきた道のりは、真似しようと思って真似できるものではありません。この経験を言葉にして届けることで、救われる人がいると確信しています。

 ただ、脳機能障害の影響もあって、どう動けば一番効果的に「人のためになれるのか」明確な道筋を立てきれておらず、今も試行錯誤の途中です。それでも、事故から7年を経てようやく自分の過去と向き合い、伝える覚悟ができました。同じように苦しむ人の“次の一歩”につながるならと思い、今回取材をお受けしました。発信を軸に、この経験を“次の一歩”につながる形に変えて、必要な人に届く情報として残していきます」

――この記事を読んでいる方の中には、今まさにリハビリや困難の中にいて、出口が見えないと感じている方もいるかもしれません。今のご自身だからこそ伝えられる言葉があれば、いただけますでしょうか。

「出口が見えない時期は、本当にきついです。頑張っても変化が見えない日が続くと、「自分だけ取り残されている」と感じてしまいます。

 ですが僕自身、回復は一直線ではないと何度も思い知らされてきました。良くなったと思ったら崩れる。崩れたと思ったら、ある日ふっと戻る。だからこそ、今うまくいっていない日があっても、それは「終わり」ではなく、途中だと思っています。

 僕にお伝えできることがあるとすれば、一つだけです。諦めないご自身を、信じ続けてあげられるのは、ご自身だけだということです。「不可能」は、他人が決めるものではありません。どうかご自身の気が済むまで、ぶつかってみてください」

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