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「行けなくてごめんね」客室乗務員だったいとこと“最後の会話” その後パイロットになった男性が慰霊登山で「空の安全」を誓う【日航機墜落40年】

国内
2025-08-12 14:14

日航ジャンボ機が墜落した事故から今年で40年となりました。当時、大学生だった男性は、事故機に客室乗務員として乗っていたいとこを亡くしましたが、その後、パイロットとして活躍。今年も御巣鷹山に登り、「空の安全」を誓います。


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1985年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日本航空123便は、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落しました。乗客乗員520人が犠牲となり、その中には多くの客室乗務員も含まれていました。

田中栄さん
「まさか、いとこが乗っていないよなと思いながら、ずっと乗員乗客名簿を見ていました。名前を見つけて無念というか、大変なことになったと」

当時、大学生だった田中栄さん(58)は、帰省先の三重県で、10歳年上のいとこが事故機に乗っていたことを知りました。

客室乗務員の制服に身を包み、カメラに笑顔を向ける女性。田中さんのいとこで日本航空の客室乗務員だった藤田香さん(当時28)です。香さんは高校を卒業後に上京。その後、客室乗務員になり、あの日、墜落した123便に搭乗していて事故に遭いました。

当初は体の一部だけしか見つかっていませんでしたが、1か月ほど経った頃、制服を着た遺体が見つかり、ようやく香さん本人であることが分かったのです。

田中栄さん
「私が高校生の時には、客室乗務員に憧れる同級生に手紙を書いてもらったことがありました。『こういう仕事だよ』『頑張ってね』という」

実は事故の1か月ほど前、田中さんは香さんと東京ディズニーランドへ遊びに行く約束をしていましたが、香さんの仕事のため、会うことができなくなりました。

その夜、香さんから電話があり、「行けなくてごめんね。今度ゆっくり会おうね」と話したのが、2人の最後の会話になったといいます。

田中栄さん
「香さんは仕事が生きがいだと話していました。その生き方が憧れでした」

事故のおよそ2年後、当時、田中さんは慶応大学に通っていましたが、パイロットになるため、両親には内緒で航空大学校を受験。合格したことを父親に報告すると、厳しい言葉が返ってきました。

田中栄さん
「『飛行機は100%安全じゃない。その世界だけはダメだ』と言われ、もし行くなら、念書を書けと言われました」

田中さんが念書に書いたのは、「命を落とすことはしません」という言葉でした。

田中さんは1991年、航空会社に入社。日本航空など複数の航空会社でパイロットとして活躍し、現在は新潟県を拠点とする航空会社「トキエア」で機長を務めています。


機長としてのキャリアは20年以上。田中さんも亡くなった香さんのように、パイロットの仕事を「生きがい」にしてきました。

一方、取材のなかで田中さんは、日本航空で機長を務めていた2010年の夏、ある“不思議な体験”をしたと明かしました。

田中栄さん
「事故で欠番になった123便と同じ夕方の羽田=伊丹便を運航していたときに不思議な感覚があって、当時、123便がたどった航跡が見えた気がしたのです」

香さんの乗っていた事故機と同じ「羽田発大阪伊丹行き」。動揺に襲われます。しかし、空の上で「このフライトのためにパイロットになったんだ」と自身を奮い立たせ、心の中で「この飛行機を伊丹まで安全に運航する」と、香さんに約束しました。

事故から40年。田中さんは今年も家族で御巣鷹山に登り、「空の安全」を誓います。


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