
戦後80年の今年、ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルによるイランへの攻撃など、世界情勢は緊迫を強めています。
日本では戦後、日本国憲法が制定され、「戦争の放棄」「戦力の不保持」を掲げてきました。しかし近年では、防衛費の増額や「反撃能力」の保有など、安全保障政策が大きな転換点を迎えています。
この世界情勢の中で憲法についてどう議論していけばいいのか。軍事や安全保障の研究者として活躍する東京大学・先端科学技術研究センター・准教授の小泉悠さんと考えます。
(TBSラジオ「荻上チキ・Session」2025年6月12日放送分から抜粋、構成=野口みな子)
――ロシアによるウクライナの侵攻が安全保障の議論に与えた影響は?
小泉:1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終結してから20年ほど、国家間の大規模な戦争が起きる可能性は低くなっていました。その間、経済や気候変動、難民といったテーマの方に注目が移りました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻により、こうした問題に加えて「国家間の戦争」という古典的な問題を再び真面目に考えなければいけなくなってしまいました。日本の安全保障にとっても大きな意義を持った出来事だったと思います。
インド、パキスタンの衝突や、イスラエルのイラン攻撃など、歴史の教科書の中の話と思っていた「戦争」という現象と向き合わなければいけない時代になりつつある。でもやっぱりそうした時代にならないよう、人類が何とか止められないかという思いもあります。そのためにはやはり、軍事力といった実際の力の裏付けが必要なんだというのが私の立場です。
――日本は憲法9条1項で「戦争の放棄」、2項で「戦力の不保持」を定めています。国際情勢が緊迫化するなか、現行憲法についてはどう見ていますか?
日本国憲法9条
第1項:
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項:
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
小泉:素直に9条の第2項を読むと、「自衛隊のようなものでさえ持ってはいけない」と書いてあるようにみえます。憲法学者の方はいろんなこと言われると思いますけど、素直に読んだらそう書いてある。「交戦権も認めない」って書いてあるので、「戦力」ではなくて「自衛力」なんだとしても、結局それで戦ってはいけないということです。軍事的な論理からいえば、これでは国防が成り立たない。
ただ、憲法って軍事的合理性だけに従っている必要はないと私は考えています。軍事的には危なかったとしても、日本人の総意としてそれ以上の価値を追求し、軍隊の保持や交戦権を禁じるのであれば、その判断を尊重しなければいけないというのが私の立場です。ただ、非常に大きなリスクを背負い込んだ上での政治的宣言だと強く自覚しなければいけないとも思います。
憲法を巡る議論の中で、「憲法9条があるから攻められることはない」とか、「軍事的な手段以外で日本を守ることができる」という主張がありますが、これにはあまり賛同できない。やっぱり軍事力を持ってないことは相当のリスクを伴います。こうした主張から一歩進んで、国防上の危険を覚悟した上で交戦権の放棄や軍備の不保持を主張するなら、それは尊重されるべき意見であろうと思っています。
――日本の「専守防衛」という防衛方針についてはいかがでしょうか?
小泉:「専守防衛」は軍事的に成り立つかといえば、「成り立たたない」と言わざるを得ません。
例えばウクライナは今の戦争の前半は防戦一方で、専守防衛に近い戦い方をしていました。もともと長距離ミサイルをあまり持ってなくて、アメリカからも渡してもらえなかった。そのためロシア側の軍需工場や部隊や物資の集結点など、ロシアが戦争を遂行する力の源(策源地)を叩くことができなかった。
専守防衛は相手の攻撃の源を絶てないため、いつかはジリ貧になってしまう防衛方針なんです。専守防衛を主張するなら、こうしたことも覚悟する必要があると思います。
「専守防衛」は、憲法9条のもとで自衛隊という「軍事力」を持っておくための、非常に「ぬるっと」した折衷的なドクトリンという感じがするんですよね。正面から考えるなら、危険を承知で軍隊を放棄するか、「自国の安全保障は自国で全うする」と憲法の中に自衛隊というものを明記するか、どちらかだと思います。私は後者の立場ですが、前者の立場の人がいてもそれはそれで立派な態度だと思っています。
――「自衛隊を明記しない」という結論は、先の大戦への反省に立った戦争放棄の理念、特に「侵略戦争をする側には絶対回らない」という思いと、他方で国民の生命を守ることも必要だという現実の間で、折り合いをつけてきたものとも言えます。
小泉:「再び日本が侵略する国になってはいけない、アジアの国々に脅威を与えてはいけない」という理念は何が何でも守らなければいけないし、日本人として深く肝に命じなければいけないことです。日本が行った15年間の戦争で日本人も含めて3000万人が亡くなり、その反省として今の憲法が作られたという事実はとても重いものだと思います。
かといって冷戦という状況を前に何も軍事力を持たないわけにもいかないということで、今の折衷的な立場に立っているということも、やむを得ない部分というのがあるのだろうと思います。
しかし同時に、こうした妥協の前提にあったのは日米安保でもあるわけですよね。専守防衛で、自衛隊という限られた軍事力だけ持つ。それで何とかなるという見込みがあったのは日米安保があるからなわけです。つまり、専守防衛の「その先」の部分はアメリカに任せられるという見込みがあった。
だから戦後の日本の安全保障を担保してきたものはかなり程度、「力の論理」であるとか「大国の拡大抑止」であったっていうところは認めざるを得ないと思うんです。
そのことを認めた上で、これから先も日本はアメリカを安全保障に引き込むような外交戦略をとり続けて、自前の軍事力は憲法の範囲内で専守防衛と考えるのであれば、それはそれで筋は通ってると思う。
ただ、「憲法9条を変えてはいけない」という立場からは、同時に日米安保もなくしたいって話がほぼセットで出てくる。それでは防衛上成り立たないか、さもなくば「我々は丸腰なんです。それでもいいんです」と腹をくくるかっていうことに、論理的にならざるを得ない。
――今後の憲法に対する議論ではどんな点に注目していますか?
小泉:改憲論の中には、9条以外の日本の戦後の民主的なあり方に関わる条文も見直して、自前の憲法を作るんだという議論がありますが、私はそれには明確に反対です。
今の日本の憲法が保障している人権や自由は立派な理念だと思っていますし、私はそういうものの中で生かされてきた人間だという意識があります。基本的に日本国憲法は全体として変えなくていいという立場なんですよね。
ただ、今の世界で憲法9条第2項を厳密に履行することで、そういった人権や自由が保障された日本のあり方を守っていけるんだろうかという懸念を持ってしまいます。
私は旧ソ連圏の軍事を研究してきたので、いちど民主化した国がまた権威主義に後退していったり、ロシアの強い影響下に置かれ直してしまったりだとか、そうした事例をずっと見てきたんですよね。
憲法に民主的なことが書いてあり、それを日本国としての国是としているのはとても良いことです。ただ、やはりそれを守る力の裏付けがいるっていうのが私の考えなんですね。ここは色々な意見があると思うんで、大いに議論すればいいと思います。
日本の良い所は、このように憲法のどこを変えるのか、変えないのかっていう話をみんなで自由にできることです。それが第二次世界大戦後に日本が実現したひとつの価値だと感じます。いろんな意見はありつつも、改良すべきところはして、変えてはいけないところは守り切るといったスタンスで話をしていきたいですね。
こいずみ・ゆう
ロシアの軍事戦略やこれを支える軍事思想、軍改革の歴史、諸外国との軍事的関係などを中心に研究。近著に『小泉悠が護憲派と語り合う安全保障』(かもがわ出版)など。
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