
大学のランニングサークル出身の小林香菜(24、大塚製薬)が、東京2025世界陸上女子マラソン(9月14日)で7位(2時間28分50秒)に入賞した。競技者として本格的なトレーニングを開始して約2年、「代表の意味を深く理解していない」と言う選手が、世界を相手に戦うことができた理由は何だったのか。小林と大塚製薬・河野匡監督(65)がレースと、そこまでのトレーニングを振り返ってくれた。
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10年前の北京世界陸上7位の伊藤を参考に
国立競技場のゲートを出ると小林香菜(大塚製薬)が、1km、2kmと通過タイムを確認しながら集団を引き離した。3km付近で集団に追いつかれたが、8km手前から米国勢2人が集団から抜け出すと、小林もそれを追った。
小林に相手を攪乱させようという意図はなく、自身のペースに徹しただけだった。「飛び出したいわけではありませんでしたが、スタートしたら皆さんあまりに遅かったので、もう自分のペースで行こうと思って。監督からは下手に抑えず、自分のペースで行っていいよ、と言われていましたし」
大塚製薬では先輩の伊藤舞(現コーチ)が、10年前の15年北京世界陸上で小林と同じ7位に入賞した。大塚製薬の河野匡監督は、今回の小林への指示は伊藤の経験から学んだことだったという。
「11年のテグ世界陸上で、給水所毎にエチオピアやケニアの選手がペースを上げて給水を取っていたことを、伊藤は揺さぶられたと感じてしまったんです(22位)。給水が終わったらペースが落ち着くのに、緊張をしていると揺さぶりに感じてしまう。4年後の北京では給水の上げ下げを気にせず自分のペースで走って、場合によっては先頭に出てもいいよ、とアドバイスをして送り出しました。今回小林には、5月くらいにそれを伝えました。情報をたくさん与えるより重要な情報に絞って、早めにインプットさせた方が心の準備ができます。小林の練習を1年ちょっと見てきて、試合結果も見た中で、世界陸上で単独走になっても自分のペースで押し切る力は十分あると判断できていました」
レース中に単独走になったとき、特別なことをしている意識になると動きに力みが出て、後半の失速につながる。その点、元市民ランナーの小林は、単独走に慣れていた。レース中の走りと同じではないが、ジョグであれば何時間でも走ることができた。ジョグをしている最中は「ボーッとできる」と、リラックスタイムになっている。
小林は外国人選手の情報も、誰が速いタイムを持っていて、誰が世界大会の実績があるかなど、ほとんどインプットしなかった。
「国内レースは(強豪選手の情報が)自然と入ってきますが、海外選手の実績は、調べに行かないと出てきません。私は他の人に興味を持つことより、自分が走ることが好きなんだと思います」
大塚製薬チームの過去の世界陸上の経験と、小林の2年前まで市民ランナーだった特性が噛み合って、大舞台をマイペースで走ることができた。
経験不足の小林が大塚製薬のノウハウで夏のマラソンにも対応
河野監督は99年に、日本人初の2時間6分台(2時間06分57秒)を出した犬伏孝行(現大塚製薬総監督)を育成したことで、若手指導者として注目され始めた。細川道隆(現大塚製薬男子部監督)、伊藤を男女マラソン代表に育てる一方、日本陸連スタッフとしても手腕を発揮した。
東京オリンピック™以降のマラソン五輪選考システムとして、複数レースで力を発揮する力を見ながら一発選考の性格を持つMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ)が行われているが、その骨格を考案したのも河野監督である。小林が今回行ったトレーニングは、長年の指導経験やネットワークで蓄積したノウハウから、小林の特徴を見ながら選択した。
暑熱馴化の1つの方法として、ヒートルームを活用した。長野県の高地トレーニング拠点の湯の丸で、「8~10畳くらい」(河野監督)の部屋を気温32度、湿度75%くらいの状態にして、1時間ジョグを4回実施した。日本陸連科学委員会が推奨した方法で、昨年のパリ五輪男子マラソンで6位に入賞した赤﨑暁(27、クラフティア)も行っていた。
レース中の暑さ対策としては、帽子に氷を入れ、全ての給水所で日本チームのスタッフが手渡しした。帽子のつばには保冷剤を貼り付けていた。小林はその保冷剤か、誰でも取れる給水所の氷を握って走っていた。「自分の場合、何かを握っている方が上手く力が入ります」(小林)
走るメニューでは30km変化走が、本番の走りをシミュレーションするのに有効だった。変化のつけ方は無数にあるが、小林は以下の組み合わせ方で行っている。
1km:ジョグ
3km:レースペース
2km:レースペースより1km30秒前後落とす
[この3km+2kmを5回繰り返す]
3km:レースペース
1km:ジョグ
今年1月の大阪国際女子マラソン前も行ったメニューであり、同大会では日本人1位で2時間21分19秒と快走した。タイム設定は選手の力と、そのときの状態で判断するが、その設定が指導者の腕の見せどころだろう。前田穂南(29、天満屋)が日本記録の2時間18分59秒を出した時も行ったメニューで、大阪前の小林は前田と同じアルバカーキ(米国の高地トレーニング場所)で行ったが、前田よりも低めのタイム設定で走っていた。
前田よりスピードを抑えて行っても、当時の小林は実業団チームのポイント練習(週に2~3回実施する負荷の大きい練習)を行い始めて1年も経っていない。小林にはすごい練習と感じられた。大阪のレース後には「30km変化走が一番キツく感じました。そのときの達成感は、自信につながったとは思います」と話していた。
東京世界陸上に向けての30km変化走は、長野県菅平で行った。大阪前が冬だったのに対し今回は夏。コースもアルバカーキが平坦なのに対し、菅平は起伏が激しく小さな曲がり角も多い。タイム設定は大阪前より低めで走った。面白いのは30km変化走の手応えが、河野監督と小林でまったく異なること。
河野監督は「1時間50分を切ったら100点と思っていて、実際は1時間50分10何秒だった」と言う。つまり100点に近い内容と感じていた。それに対し小林は、「アルバカーキを10としたら6か7」だと感じた。
「アルバカーキより起伏がありましたし、夏のマラソン練習は完璧を求めてはいけない、と代表経験のある先輩たちからも言われていました。その違いを理解することに慣れていないので、どうしても比べてしまって、その辺の気持ちの部分で一番辛かったです」
同じ練習を行っても受け取り方に、経験豊富な指導者と、競技者としてのトレーニングを始めて2年目の選手で違いが生じるのは、あり得ることなのかもしれない。それでも小林は「当日はこれまでの練習を信じられて、弱気になりませんでした」という気持ちでスタートラインに立っている。単独3位を走っていた24km地点で、後続の集団に飲み込まれた時も慌てなかった。精神的に焦ってしまうと動きが硬くなるが、小林はペースダウンすることはなかった。
「不思議と焦りませんでした。大阪では後半、自然と楽になってペースを上げられたので、そういう経験が自信になっていたのかもしれません」
練習してきたことや過去の経験を試合で発揮できる。その感覚が小林の中で確立されているようだ。
河野監督の説明する小林の強さ
小林自身はまだ今回行った練習が、世界陸上7位という結果にどうして結びついたのか、判断しかねている。「分析しないと次に活かせません」と、自身の中で色々検証している。それに対して河野監督は「色んなものが(これまで見てきた選手を)超えている。底が知れない」としながらも、ある程度の分析はできているようだ。「指導者から見たら、大きな不安要素を1つ取り除いてくれている選手です」という。それが世界陸上でも「走り切ることに関してはまったく不安がなかった」理由である。
「ウチは男性のランニングコーチも付けませんし、距離走でもインターバルでも1人で走って押し切る練習をしています。伊藤もこつこつ続ける能力、努力するセンスはピカイチでしたが、押しきる練習のレベルはもう小林が上回っている。さらに小林も、伊藤と同じように練習を元気に積み上げていける選手です。42.195kmを走り切ることに関しての不安を選手が取り除いてくれたら、指導者としては練習を組み立てるストレスがかなり減る」
1人で押しきる練習ができているから、実戦を意識した30km変化走を入賞を狙うレベルで行うことができた。ではどうして、1人で押しきる練習が高いレベルでできているのか。
河野監督は走る練習をする時間も、トレーニング器具などを使って行う練習時間も、自身でケアをする時間も、小林がチームでは一番だと指摘する。それだけ練習できるのは「入ってくる時に持っていた“中途半端なことはしない”という覚悟を、ずっと持ち続けているから」だと河野監督は感じている。
小林は市民ランナーとして楽しく走る道を選ぶこともできたのに、自ら実業団選手の道を選んだ。その覚悟があるからこそ、ポイント練習には「絶対に外せない」(小林)という姿勢で臨む。以前の取材で小林は、スタッフが自身のタイムをとることをプレッシャーに感じている、と話したことがあった。「(大学まで)1人で好きに走っていた身なので」と理由を説明したが、ポイント練習に真剣に取り組んでいることの裏返しでもある。
しかし河野監督から見れば、ポイント練習もほぼ完璧にこなしている。東京世界陸上に向けて「外したのは1回だけ」(河野監督)だった。前述の30km変化走の評価が河野監督は合格点なのに、小林自身は「6か7」となるのは、2人の立ち位置の違いから生じて当然で、そんな2人だから良い化学反応が起きている。
小林が1人で押しきる練習ができる理由の1つに、ジョグをしっかり走っていることが挙げられる。7月の月間走行距離は1380kmで1日平均44.52kmになる。何km走るということを目指しているわけではなく、ジョグが好きなのでいくらでも走れてしまう。その結果が1380kmという数字になっただけなのだが、これは全盛期の野口みずき(アテネ五輪金メダリスト)に匹敵する。
湯の丸でポイント練習として、起伏の激しいコースで24km走を行った日があった。その練習後に宿舎まで車で帰ることもできたが、約8kmの上りを「ジョグだったら走れます」と言って帰り、河野監督を驚かせた。前述の赤﨑がパリ五輪コースの上り坂対策として、同じ道をジョグで帰ったことを河野監督は聞いていた。それを冗談半分で伝えると、小林は躊躇うことなく走り始めた。最後の高地合宿の群馬県横手山でも同様に、かなり負荷の大きいメニューを行った後にすごい上り坂をジョグで帰ったという。
河野監督も「理解の外のことを平気でやる選手ですが、やりたいと思ってやっていることを、明らかに無茶だということ以外は止められません」と、小林の練習姿勢を認めている。しかし8月後半は、最後の30km変化走をレースに直結する高いレベルで行う必要があり、「(月間で)1200km近く行きそうな雰囲気があったので、30km変化走以外の日は、1日30km以内に抑えてくれ、疲労を取ってくれ」と話したという。
世界陸上7位入賞の結果を出せたのは、この2人のコンビだったからだろう。小林がスタート時に自信を持てたり、24kmで抜かれた時にも落ち着いていられたりしたのは、河野監督との練習が正解だと潜在意識で理解していたのではないか。
だが今後は、小林の立ち位置が少しずつ変化する。何も知らない状況で国際レースに挑むことは徐々にできなくなるはずで、小林本人も「今回のように周りを気にせず、自分の走りに集中できたらいいのですけど、これからは立場が変わってくる」と予想している。その一方で、走ることが大好きな点は変わらず、ジョグをいつまでも走り続けているだろう。
競技者になってまだ2年。小林の3年目以降が注目されるが、小林と河野監督のコンビなら、変化していく状況に応じて最適解を導き出していくはずだ。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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