
歌手・橋幸夫さんが亡くなってから一年。一周忌特別公演が開かれ、妻の真由美さん(65)が初めてステージに立ちました。
【写真を見る】【独自取材】橋幸夫さんの一周忌終え 妻が明かす “最期の時”「病室で歌い終わった時に脈拍が…」認知症闘病の日々も
今回、夫婦で過ごした “ご自宅” で取材し、最愛の夫を亡くした悲しみ、晩年の闘病生活、そして、夫の歌を歌い継いでいく決意など、この一年の “胸の内” を話してくれました。
「会いたいですよね。それが一番かな。」と、率直な心境を明かした真由美さん。「歌やCDをかけたり映像も番組で流してくださったりしますが、それを観るのが辛かった。これからも愛しています」と、今もなお続く深い愛情と悲しみを言葉にしました。
1960年のデビュー曲『潮来笠』が大ヒットし、『いつでも夢を』『霧氷』で日本レコード大賞を受賞するなど、華々しい歌手人生を歩んだ橋さん。
妻として支え続けた真由美さんは〝歌手・橋幸夫〟について「彼は65年歌をやってきた。私も1歳から65歳生きていて、私の生きてきた人生全てが歌しかない、とつくづく感じている。すごい人だったなと。歌だけに幸せを感じていたんじゃないかなと思います」と振り返ります。
生涯現役を宣言していた橋さんでしたが、晩年は病との闘いを余儀なくされました。2022年に軽度のアルツハイマー型認知症が判明。2025年5月には中等度へと悪化、翌月にはパーキンソン病を併発。
元看護師の真由美さんは、早い段階から夫の異変に気づいていたといいます。「眉毛を書く作業がありますよね。それをやっているのかなと思ったら、気づいたらおでこに3本線が入っていたりするんです」と、当時の様子を語りました。
病気を公表し、周囲のサポートを得て歌手活動を続けた橋さん。真由美さんは「歌ってほしかったし、みんなの前に立つ橋幸夫は常に素晴らしい存在であってほしいという私の願いが、先に出てしまったのかもしれません」と、その胸中を吐露。
病気の影響は、ステージ本番にも影響を及ぼしました。
「『霧氷』を1番は歌っても、2番は(歌詞を忘れて)トークでお客様とお話しする、というようなこともありました。歌詞を覚えられない、忘れてしまうという事が大きかった」と明かします。
2025年6月のコンサート終了後、一過性脳虚血発作で入院。「私の判断は間違っていたのかもしれない。入院させてしまい、そのまま亡くなってしまったので後悔しています」と悔しさをにじませつつも、「でも、本人が決めたこと。どんな時にも舞台に立つのが彼の仕事であり、彼は望んだし、大切なこと。『お客様が待ってるよ』と夫に言われた時に、(ステージに立つことを)止められなかった」と、夫の意志を尊重し続けたことへの思いを話しました。
入院から3か月に渡り、病と闘い続けた橋さんでしたが、2026年9月、病室で歌を口ずさんでいる時に最期の時が訪れました。「『人生はまだ語れない』をうたい終わった時に、脈拍がきれいになくなる感じでした」
最期の瞬間まで妻・真由美さんに見守られながら、橋さんは65年の歌手人生に静かに幕を下ろしました。
そして迎えた一周忌特別公演。
「夫・橋幸夫の歌を歌い継いでいく」という思いを胸に、真由美さんは初めてステージに立ち、『いつでも夢を』を披露しました。
真由美さんは客席に向けて、「この65年(夫・橋幸夫は)認知症になっても最後までうたい続けてこられたのは、ファンの皆様、世界中の皆様のおかげで…皆さんの拍手によって橋はうたい続けられたのだと思います」と感謝を伝えました。
続けて、「きっと橋は天国から『皆さんに橋幸夫の歌をうたってほしい』『僕の歌をうたってくれ』と言っているような気がします。皆さんぜひカラオケでもステージでも歌っていただけたら幸いです」と呼びかけました。
【担当:芸能情報ステーション】
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