エンタメ
2025-11-30 09:00
細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』(公開中)で、主人公スカーレットの宿敵クローディアスの側近として登場するヴォルティマンドの声を担当した吉田鋼太郎。日本のシェイクスピア演劇を牽引する存在である吉田にとって、復讐劇の古典『ハムレット』の物語をベースとしている本作は強く心を揺さぶられるものがあったという。細田作品に参加して感じた監督の力量、作品のテーマが現代に響く理由について語ってもらった。
【動画】芦田愛菜が歌うエンディングテーマ「果てしなき」特別PV
■「ハムレットを知らなくても届く」──細田守の“翻案のすごさ”
細田監督がシェイクスピアの古典『ハムレット』を自身の語りに取り込み、観客に“今の物語”として届けている点に、吉田は深く感銘を受けたという。
「僕自身、『ハムレット』という戯曲が本当に大好きなんです。世界最高峰の戯曲だと思っています。その『ハムレット』を土台にして『果てしなきスカーレット』が生まれた。しかも『ハムレット』は1600年頃に書かれ、今もなお読まれ続けている。この映画も “後世に残るべき作品”だと強く感じました」
吉田は、シェイクスピアと細田守監督が「作家として何を語りたいか」という根っこの部分が共通していると指摘する。
「シェイクスピアには“ハムネット”という息子がいましたが、幼くして亡くなってしまった。その後、一年も経たないうちに『ハムレット』を書いていると言われているんですよね。そして題名は息子の名前と酷似している。シェイクスピアは、息子に“こういう人間になってほしかった”という個人的で切実な思いを込めて書いたのではないかと、僕はずっと思ってきました。人が人を殺すということに、苦しみ、悩み続ける人であってほしい。知性と優しさを持って、復讐をすべきかどうか迷い続けるような人であってほしい。ひいては、世界中の人がそうであればいい──そんな願いです。細田さんも同じ思いでこの映画を作ったのではないか。戦争がなくならない世界で、実現不可能な理想かもしれないけれど、あえてそこに楔(くさび)を打ち込もうとした。その姿勢が素晴らしいと思いました」
『果てしなきスカーレット』は『ハムレット』をベースにしていながら、物語そのものはあくまで細田監督のオリジナルだ。『ハムレット』の国王は自分を殺した相手を「許すな」と王子に言うのに対して、『果てしなきスカーレット』では全く逆の「許せ」という言葉が投げかけられ、主人公のスカーレットは『ハムレット』の王子以上に苦悩することになる。
吉田が演じたヴォルティマンドも『ハムレット』ではクローディアスがノルウェーに送る“使節”としてわずか数行しか登場しない。しかし、本作ではスカーレットの命を狙うクローディアスの側近という重要キャラクターとして描かれる。
「最初、役名を見たときは“ちょい役だ”と思ったんですよ。でも台本を見たら全然違っていて(笑)。細田さんが大胆にアダプトしていて、そこにまず驚きました。原作への敬意を払いながらも、必要とあらば大胆に書き換えられる自由さ。『ハムレット』を読んだことがない人にも届くように作られていますし、キャラクターの扱いひとつ取っても、細田さんのセンスと発想力のすごさを感じました」
アニメーションという表現が持つ強みにも言及する。
「シェイクスピア作品は、膨大なせりふ量がありますし、演技にものすごい熱量を必要とする場面がいくつもある。人間の身体表現の限界もある。でもアニメーションはそれを軽々と超えてくる。戦闘シーンも殺戮シーンも“アニメならではの迫力”で描かれていて、羨ましいくらいでしたね」
■何度観ても新しい“痛み”と“希望”が見えてくる
吉田が“シェイクスピア”と出会ったのは高校2年の時。英語の先生からもらったチケットで観に行った喜劇『十二夜』が始まりだった。
「あまり乗り気ではなかったけれど観に行ったら、面白くって、素晴らしくって、本当にびっくりしましたね。演出家は海外の方で、橋爪功さんや岸田今日子さんらが出演していました。そこからシェイクスピアにハマりました」
以来50年、シェイクスピアは人生の軸になっている。
「シェイクスピアのすごさは、人間の“善と悪”しか書いていないのに、それがあらゆる物語の原点になっていること。太宰治も、ドストエフスキーも“シェイクスピアには敵わない”と言っている。黒澤明監督の『乱』は『リア王』、『蜘蛛巣城』は『マクベス』ですしね。今回、細田監督が『ハムレット』だけでなく、『マクベス』のせりふまで引用していたことにも驚きました。“俺の心はサソリでいっぱいだ”というマクベスのせりふが、クローディアスの口から出てくる。あれは本当に痺(しび)れました。細田守すごいな、と」
物語には、子どもの死が描かれる場面がある。そこでスカーレットが強く反応する姿は、吉田の胸にも深く刺さったという。
「子どもが死ぬというのは、本当に胸が痛い。戦争のニュースで傷ついた子どもの姿を見るのもつらい。僕も父親なので、もし自分の子が倒れていたら──と想像するだけで、たまらなくなるんです。そんなとき、この映画のテーマが“自分の問題”として突き刺さります。
世界の情勢を見ていると、“本当にこれでいいのか”と思うことばかりです。朝ニュースを見て暗い気持ちになることもある。でも、四六時中そのことを考えているわけではなくて、しばらくすると忘れてしまう──人間はそういう生き物です。
だからこそ、“忘れそうになる大切なこと”を、思い出させてくれる物語がたくさん作られてきた。
『果てしなきスカーレット』もその一つです。今、自分たちがどんな世界に生きているのか、どう生きるべきなのかを考えるきっかけになる作品だと思います。きっと、何度も観たくなる映画です。回数を重ねるごとに、痛みも希望も、さらに深く見えてくる──そんな作品になっています」
■『果てしなきスカーレット』あらすじ
父の敵への復讐に失敗した王女・スカーレットは、《死者の国》で目を覚ます。ここは、人々が略奪と暴力に明け暮れ、力のない者や傷ついた者は〈虚無〉となり、その存在が消えてしまうという狂気の世界。敵である、父を殺して王位を奪った叔父・クローディアスもまたこの世界にいることを知り、スカーレットは改めて復讐を強く胸に誓う。そんな中、彼女は現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。時を超えて出会った二人は、最初は衝突しながらも、《死者の国》を共に旅することになる。
『果てしなきスカーレット』芦田愛菜が体現したスカーレットの魂
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■「ハムレットを知らなくても届く」──細田守の“翻案のすごさ”
細田監督がシェイクスピアの古典『ハムレット』を自身の語りに取り込み、観客に“今の物語”として届けている点に、吉田は深く感銘を受けたという。
「僕自身、『ハムレット』という戯曲が本当に大好きなんです。世界最高峰の戯曲だと思っています。その『ハムレット』を土台にして『果てしなきスカーレット』が生まれた。しかも『ハムレット』は1600年頃に書かれ、今もなお読まれ続けている。この映画も “後世に残るべき作品”だと強く感じました」
吉田は、シェイクスピアと細田守監督が「作家として何を語りたいか」という根っこの部分が共通していると指摘する。
「シェイクスピアには“ハムネット”という息子がいましたが、幼くして亡くなってしまった。その後、一年も経たないうちに『ハムレット』を書いていると言われているんですよね。そして題名は息子の名前と酷似している。シェイクスピアは、息子に“こういう人間になってほしかった”という個人的で切実な思いを込めて書いたのではないかと、僕はずっと思ってきました。人が人を殺すということに、苦しみ、悩み続ける人であってほしい。知性と優しさを持って、復讐をすべきかどうか迷い続けるような人であってほしい。ひいては、世界中の人がそうであればいい──そんな願いです。細田さんも同じ思いでこの映画を作ったのではないか。戦争がなくならない世界で、実現不可能な理想かもしれないけれど、あえてそこに楔(くさび)を打ち込もうとした。その姿勢が素晴らしいと思いました」
『果てしなきスカーレット』は『ハムレット』をベースにしていながら、物語そのものはあくまで細田監督のオリジナルだ。『ハムレット』の国王は自分を殺した相手を「許すな」と王子に言うのに対して、『果てしなきスカーレット』では全く逆の「許せ」という言葉が投げかけられ、主人公のスカーレットは『ハムレット』の王子以上に苦悩することになる。
吉田が演じたヴォルティマンドも『ハムレット』ではクローディアスがノルウェーに送る“使節”としてわずか数行しか登場しない。しかし、本作ではスカーレットの命を狙うクローディアスの側近という重要キャラクターとして描かれる。
「最初、役名を見たときは“ちょい役だ”と思ったんですよ。でも台本を見たら全然違っていて(笑)。細田さんが大胆にアダプトしていて、そこにまず驚きました。原作への敬意を払いながらも、必要とあらば大胆に書き換えられる自由さ。『ハムレット』を読んだことがない人にも届くように作られていますし、キャラクターの扱いひとつ取っても、細田さんのセンスと発想力のすごさを感じました」
アニメーションという表現が持つ強みにも言及する。
「シェイクスピア作品は、膨大なせりふ量がありますし、演技にものすごい熱量を必要とする場面がいくつもある。人間の身体表現の限界もある。でもアニメーションはそれを軽々と超えてくる。戦闘シーンも殺戮シーンも“アニメならではの迫力”で描かれていて、羨ましいくらいでしたね」
■何度観ても新しい“痛み”と“希望”が見えてくる
吉田が“シェイクスピア”と出会ったのは高校2年の時。英語の先生からもらったチケットで観に行った喜劇『十二夜』が始まりだった。
「あまり乗り気ではなかったけれど観に行ったら、面白くって、素晴らしくって、本当にびっくりしましたね。演出家は海外の方で、橋爪功さんや岸田今日子さんらが出演していました。そこからシェイクスピアにハマりました」
以来50年、シェイクスピアは人生の軸になっている。
「シェイクスピアのすごさは、人間の“善と悪”しか書いていないのに、それがあらゆる物語の原点になっていること。太宰治も、ドストエフスキーも“シェイクスピアには敵わない”と言っている。黒澤明監督の『乱』は『リア王』、『蜘蛛巣城』は『マクベス』ですしね。今回、細田監督が『ハムレット』だけでなく、『マクベス』のせりふまで引用していたことにも驚きました。“俺の心はサソリでいっぱいだ”というマクベスのせりふが、クローディアスの口から出てくる。あれは本当に痺(しび)れました。細田守すごいな、と」
物語には、子どもの死が描かれる場面がある。そこでスカーレットが強く反応する姿は、吉田の胸にも深く刺さったという。
「子どもが死ぬというのは、本当に胸が痛い。戦争のニュースで傷ついた子どもの姿を見るのもつらい。僕も父親なので、もし自分の子が倒れていたら──と想像するだけで、たまらなくなるんです。そんなとき、この映画のテーマが“自分の問題”として突き刺さります。
世界の情勢を見ていると、“本当にこれでいいのか”と思うことばかりです。朝ニュースを見て暗い気持ちになることもある。でも、四六時中そのことを考えているわけではなくて、しばらくすると忘れてしまう──人間はそういう生き物です。
だからこそ、“忘れそうになる大切なこと”を、思い出させてくれる物語がたくさん作られてきた。
『果てしなきスカーレット』もその一つです。今、自分たちがどんな世界に生きているのか、どう生きるべきなのかを考えるきっかけになる作品だと思います。きっと、何度も観たくなる映画です。回数を重ねるごとに、痛みも希望も、さらに深く見えてくる──そんな作品になっています」
■『果てしなきスカーレット』あらすじ
父の敵への復讐に失敗した王女・スカーレットは、《死者の国》で目を覚ます。ここは、人々が略奪と暴力に明け暮れ、力のない者や傷ついた者は〈虚無〉となり、その存在が消えてしまうという狂気の世界。敵である、父を殺して王位を奪った叔父・クローディアスもまたこの世界にいることを知り、スカーレットは改めて復讐を強く胸に誓う。そんな中、彼女は現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。時を超えて出会った二人は、最初は衝突しながらも、《死者の国》を共に旅することになる。
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