
陸上競技の富士北麓ワールドトライアルが8月3日、富士北麓公園富士山の銘水スタジアムで行われた。男子100m予選で桐生祥秀(29、日本生命)が9秒99(追い風1.5m)をマーク、東京2025世界陸上参加標準記録の10秒00を突破した(決勝は棄権)。桐生は洛南高3年時の13年に10秒01(当時日本歴代2位)で走り、東洋大4年時の17年に日本人初の9秒台となる9秒98(現日本歴代3位)をマークした。今回の9秒99はサニブラウン・アブデル・ハキーム(26、東レ)に次いで、日本選手2人目の複数回9秒台だが、最初の9秒台から8年の歳月を要してしまった。アキレス腱痛が発症した21年以降は、10秒0台も1シーズンだけ。桐生の完全復活の背景には何があったのか。桐生を支えてきた小島茂之コーチと後藤勤トレーナーに話を聞いた。
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6年ぶりの個人種目世界大会代表入り
代表選考要項では日本選手権入賞者が標準記録を破れば、日本選手権の上の順位の選手から代表入りが決まる。正式発表は8月末か9月初頭になるが、日本選手権優勝者である桐生の代表入りは間違いない。個人種目では19年世界陸上ドーハ以来の代表入りとなる。
桐生のシーズンベストと主要国際大会の戦績は以下の通り。
◆13年 10秒01
世界陸上モスクワ100m予選
4×100mリレー6位(1走)
◆14年 10秒05
世界ジュニア100m3位
4×100mリレー2位(2走)
◆15年 10秒09
◆16年 10秒01
リオ五輪100m予選
4×100mリレー2位(3走)
◆17年 9秒98
世界陸上ロンドン4×100mリレー3位(3走)
◆18年 10秒10
ジャカルタ・アジア大会4×100mリレー1位(3走)
◆19年 10秒01
世界陸上ドーハ100m準決勝
4×100mリレー3位(3走)
◆20年 10秒04
◆21年 10秒12
東京五輪4×100mリレー決勝途中棄権(3走)
◆22年 10秒18
◆23年 10秒03
◆24年 10秒20
パリ五輪4×100mリレー5位(3走)
◆25年 9秒99
15年は3月に追い風参考記録ながら9秒87(追い風3.3m)と絶好調だったが、5月に大腿部の肉離れをして日本選手権を欠場し、世界陸上北京の代表に入れなかった。20年は日本選手権に優勝したが、世界的な新型コロナ感染拡大のため東京五輪が翌年に延期された。21~24年は前述のようにアキレス腱痛があり、ひどいときは「起床後に熱いお湯をかけて温めて、超音波治療をしないと歩けなかった」(桐生)と言う。
日本人初の9秒台という歴史的な成果を出した一方、個人種目の戦績はU20時代のレベルからするともの足りない。大学2年時(15年)から潰瘍性大腸炎を抱えながらの競技生活で、その一因にストレスもあったと桐生は明かしている。また大腿裏の肉離れやアキレス腱痛以外にも、細かい痛みで練習を抑えたことが幾度となくあった。
8年ぶりの9秒台は、桐生は世界と戦える選手と信じ、苦楽をともにしてきたスタッフたちにとっても嬉しかった。小島茂之コーチは「体調不良やケガがあって、思い通りに走れないことの方が多かった。本人は相当苦しかったと思います。それでもあきらめずにできることをしっかり継続してきました。本人の努力は本当にすごい」と感慨深げに話した。レース直後に桐生と抱き合った後藤勤トレーナーは、「もう一度世界と戦えるぞ!」と感極まっていた。
好調の要因はアキレス腱痛の克服
6月1日の布勢スプリントまでは、小さな故障で練習不足の面があったが、7月5日の日本選手権は10秒23(追い風0.4m)で5年ぶりに優勝した。その後のヨーロッパ遠征では10秒0台を連発していた。冬期から練習が順調だったと、小島コーチは説明する。
「去年まではアキレス腱が痛いからこれはやめておこう、ということが多かったのですが、昨年の秋からは痛みがなく、ジャンプ系のメニューを含めやりたい練習が全てできています。今シーズンは記録も出せる、標準記録も切れるとチームで話していました。10秒0台もなかなか出せませんでしたが、体の状態と条件が合えば出せる自信は本人も持てていたと思います」
アキレス腱痛は慢性的な痛みで、完治は難しいと言われている。そこに“チーム桐生”はどう対処したのだろう。
「後藤トレーナーの献身的なサポートと、本人の意識の高さがあったからでしょう。食事や普段のセルフケアなど、細かいところをすごくしっかりやっています」(小島コーチ)
後藤トレーナーがアキレス腱痛がなくなった理由を、「桐生が我々の話を理解してくれたから」と説明する。
「アキレス腱痛は痛くても走れてしまうんです。接地時間が短ければ痛みがないので、ジョグはできなくてもスパイクを履くと走ることができる。初期のうちは特にそうで、それでどんどん悪化させてしまう。でも、MRIを撮ればどれくらい炎症があるかわかります。『今はそんなに痛くないかもしれないけど、(撮影した画像で)これがあるからダメなんだよ』と桐生に言えば、彼は我慢してくれます。普通は我慢できないんですよ、選手って。桐生のすごいのはきちんと理解して、聞き入れてくれることですね。スタッフを信頼してくれることが一番大きかったと思います」
21年東京五輪の個人種目代表を逃し、少しでも早く記録を出したかったはずだが、22年の日本選手権後には、シーズン後半を休養に充てる決断をした。23年に状態が良くなり10秒03も出したが、24年はまた練習を抑える時期が多くなり、パリ五輪もリレーだけの出場となった。それでも桐生は、東京世界陸上での再起を目指して無理をしない判断をした。それが今季の快走につながっている。
世界陸上では「余裕がある予選の走り」を
桐生がモチベーションを維持できたのは、リレーで貢献したい思いも強かったからだ。
「世界で戦うことはずっと、本人の中で大きかったはずです。個人で出られない年もありましたが、リレーではチームの柱になる、どんな状態でも日本代表として走る。その気持ちは持ち続けていました」(小島コーチ)
富士北麓ワールドトライアルで標準記録を切り、100mでの代表入りが確実になったことで、本番までのスケジュールに余裕を持つことができる。8月の複数レースで記録狙いに行くプランだったが、練習中心に切り換えていく。その中でレースで確認したいことがあれば、レースにも出場する。「中盤、後半を乗せるためには、スタートをもう少し研きたい」(桐生)と、練習期間が増えたことを活用する。
今回9秒99を出したことの意味は大きいが、その意味をさらに大きくするためには、今後が重要だという。「9秒台を出せないと世界で勝負できないと思ってきました。今後9秒99を超えて行くことや、世界陸上の結果で9秒99の価値が上がっていくと思います」。
4×100mリレーでメダルに貢献するのはもちろん、個人種目の100mでも決勝を戦うことが最大の目標だ。
「まずは余裕がある予選の走りをしたいと思います。サニブラウン選手を見ても感じますが、世界で決勝に残る人は予選で余裕を持つことが、気持ちの部分では大事だと思っています。予選をしっかり通過して、準決勝で勝負をしたい」
それも“チーム桐生”が結束すれば、決して不可能なことではない。そう思わせた9秒99の走りだった。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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